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名誉教授章

千葉大学より名誉教授章と称号記を頂きました.有り難う御座いました.お世話になりました.

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「カルミナ・ブラーナとその時代」の論文公開

 在職中最後の編集発行になりました,大学院のプロジェクト論集が電子版で公開されました.No.373『高等教養教育研究』,No.375『文化交流研究』です.最終講義を元にした論文も公開されました.大塚萌氏の力作が公表されました。


石井正人「カルミナ・ブラーナとその時代(2023年3月 千葉大文学部最終講義)」
千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書 (ONLINE ISSN 2434-8473) No.375 (2023-02-28), 1-56

https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900121614/375-p001.pdf


石井正人「Z世代のクリスマス・イメージ」
千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書 (ONLINE ISSN 2434-8473) No.373 (2023-02-28), 1-12

https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900121606/373-p001.pdf


石井正人「ホームズとルパンの翻訳小史 : 「ポピュラーカルチャー論」授業の教材として」
千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書(ONLINE ISSN 2434-8473) No.373 (2023-02-28), 13-32

https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900121607/373-p013.pdf


大塚萌「ダ・ポンテのL’ ape Musicale「音楽の蜂」に見るイタリア・オペラの受容とその変遷」
千葉大学大学院人文公共学府研究プロジェクト報告書 (ONLINE ISSN 2434-8473) No.375 (2023-02-28), 57-77

https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900121615/375-p057.pdf

ご覧いただければ幸いです.

ヒバリのように歌えぬのなら

 オランダの歴史家で,ライデン大学学長も務めたヨハン・ホイジンガ(Johan Huizinga, 1872 - 1945)の著書『中世の秋』(Herfstij der middeleeuwen, 1919)や『ホモ・ルーデンス』(Homo ludens, 1938)は,私のような世代の者は学生時代に読みふけって感激したものです.
 当時既に国際的に評価の高かったホイジンガは,ナチスドイツがオランダに侵攻した占領時代(1940-45)に,ナチスの反ユダヤ政策に公然と反対し,一時は収容所に入れられ,軟禁状態のままオランダの解放前に世を去りました.ウィーンでナチスにいびり殺されたという音声学の大家ニコライ・セルゲーエヴィチ・トルベツコイ(Николай Сергеевич Трубецкой, Nikolai Sergeievich Trubetzkoi, 1890 - 1938)と並んで,学者の良心の代名詞のような人物であると思います.他にもあまたおられますが,言語学と中世ヨーロッパ文化史の分野で私個人が学恩を蒙っているので,特に取り上げ,かくはコメントさせていただく次第です.
 感激して読みふけったとはいえ,ホイジンガの該博な学識と熟達した文体から,容易に単純明快な結論など読み取れるものではなく,『中世の秋』を読んだ後ふと気がつくと,結局2つの点しか記憶に残っておりません.
 1つはクリスティーヌ・ド・ピザン(Christine de Pisan, 1364 - 1430)のこと,特にその最後の作品「ジャンヌ・ダルク賛歌」(Le Ditié de Jehanne d'Arc, 1429)であります.ヨーロッパ史上初の自覚的なフェミニストとして名高いクリスティーヌ・ド・ピザンの著作にいつかはじっくり取り組んでみたいものと思いながら時間を無為に過ごしてしまい,先年ようやく『女性の都』("La cité des dames", 1405)について紹介記事が書けたばかりです.(蔵書を整理したら,『女性の都』のドイツ語訳などは2冊も同じ本がある始末でした!)
 もう1つは,聖職者で神秘思想家であったトマス・ア・ケンピス(Thomas à Kempis、1379 - 1471)からの引用です.「ひばりやナイチンゲールのように歌うことができないのならば,からすや沼地のかえるのように歌いなさい。からすやかえるたちは、神さまのお与えになったがままに歌っているのだ」(Kunt gij niet zingen als de leeuwerik en de nachtegaal, zingt dan als de raven en de kikvorschen in den poel, die zingen zuoals God het hun gegeven heeft.)
 中公文庫の堀越孝一訳からは原著の面倒な注が省かれているので,この印象的な言葉の元を探すのはちょっとした手間がかかります.トマス・ア・ケンピスの主著『キリストにならいて』(De imitatione Christi)にはありません.しかし,カラスやカエルであることに満足して生きようではないか、というこの言葉は,(カラスやカエルのファンの方には異論があるかも知れませんが)いかにも,質素で堅実な生活・生き方・信仰を訴えた「諦めと慰めの著書」の著者に相応しい譬え話の教訓だと読めてしまいます.
 ヨーロッパ文化史上の三大「慰めの書」があり,古来名だたる政治家や聖職者の枕頭の書であったと言われているのが,マルクス・アウレリウス『自省録』,ボエティウス『哲学の慰め』,そしてトマス・ア・ケンピスの『キリストにならいて』であります.さすがに3冊とも岩波文庫に入っています.確かに辛い一日の終わり,悶々として寝付けぬ床で手に取ると,慰めが得られるものばかりです.
 ところが,原文をたどると,必ずしもそういう意味合いばかりの言葉ではなかったらしい.実際カラスとカエルのイメージが面白すぎて,『中世の秋』の文脈すら見失いがちですが,これは,やがてルネサンスによって打ち破られる中世末期の「ちまちました,信心深い」芸術を論じる箇所に引かれている言葉です.
 トマス・ア・ケンピスの著作は20世紀の初めに M.J. Pohl によって7巻の全集にまとめられ,これがスタンダードワークになっているようです.カラスとカエルの言葉は,その第6巻に出てきます.(『キリストにならいて』は第2巻です)
 トマス・ア・ケンピスは小さな修道院の副院長として生涯過ごした人で,新人教育係をしていたらしい.その新人研修で行った説教が集められています.第6巻に入っているのは,お御堂での礼拝の仕方、その心構えについてのお話です。全部で30本のお説教があります.カラスとカエルの言葉はその28本目に出てきます.
 教会のお御堂でのおつとめ,礼拝には歌が欠かせません.どの宗教でもそうですが,キリスト教の祈りも歌と切り離せない関係にあります.聖職者や修道士たる者,祈祷文を暗記するのと一体で,楽譜を読み,歌う訓練は欠かせないのです.
 しかし,生来歌の苦手な人はおります.公教育における音楽の授業が歌唱中心で,多くの生徒には極めて困難で苦痛であるのは,宗教的な名目や大義を切り捨てたまま,教会の音楽訓練の方法がそのまま残存しているからでしょう.
 トマス・ア・ケンピスは新人教育のベテランですから,生徒さんたちに向けて無理を言わず,励まして伸ばす手法を採ります.―――天使たちから神さまはいつも完璧で素晴らしい歌声で賛美を受けている.あなたたちが,天使たちのように完璧に美しく歌うことが出来なくても,信仰心が大事である.口で歌えないのなら,心の声で神に歌いかけなさい.しわがれた聞き苦しい声をしているとしても,祈るという大切なおつとめを止めてはなりません.上手に歌っている同胞の祈りの歌声を喜びなさい."Si non vales tam pulcre cantare sicut alaudae et philomenae; canta et lauda lugubre sicut corvi et ranae in palude: qui cantant sicut Deus dedit et natura concedit."「もしあなたがヒバリやナイチンゲールのように美しく歌えないのなら,カラスや沼地のカエルのように悲しげに賛美の歌を歌いなさい.カラスやカエルは,神が与え,自然が許すように歌っているではありませんか」
 だがこれは,単なる励ましの言葉ではないと思うのです.賛美歌において万物は平等であり,自然の多様さは人間の知る技術の巧拙を越えているのだ,というのです.
 聖歌隊を務めたことのある人なら誰でも知っていることですが,賛美歌というものは,第1に聖歌隊が決して「酔いしれて」歌ってはならない.法悦の感情に浸るべきなのは会衆であって,聖歌隊はそのお手伝いをする役割に徹しなくてはならない.第2に聖歌隊の中で音楽が完結してはならない、そのような発声をしてはならない.自分の体を楽器にするのではなく,お御堂全体に向けて響きを発するようにする.お御堂の全体が一体となって賛美の歌を歌っているようにするものだ.こういうことを叩き込まれます.共同体を作って賛美の歌を歌うのは,一人の「天才」,一人の「有能」な者が引きずり回し,かき回すためではない,そうきびしく教えられます.後世の「天才信仰」や「おれさま教」「近代的自我(のなんちゃら)」に基づく芸術観とはおよそ敵対する考え方です.近代に向けてこれは大きな議論になっていきます.
 しかもこれは,芸術一般の話ではなくなります.ヒバリのように歌えず人に喜んで貰えない身であっても,ゴミをあさって嫌われるカラスや,簡単に踏み潰されるカエルのような存在でも,するべきことをする時があります.政治的行動に慣れない身なのに勇気を出し,暴力の犠牲になってもユダヤ人の同僚への迫害に抗議して,寿命を縮めた,ホイジンガのように.

ユピテルはその滅ぼさんとする人をまず狂気となす

 私より上の世代の文学少年にはよくあることですが,Quem Jupiter vult perdere, dementat prius.「ユピテルはその滅ぼさんとする人をまず狂気となす」というこの格言を初めて習い覚えたのは,林達夫「歴史の暮方」でありました.林達夫の「歴史の暮方」「思想の運命」「共産主義的人間」などは,花田清輝『復興期の精神』と並んで,高校生の時の愛読書でありました.(もちろん周囲からは馬鹿にされておりました)
 このような経歴の恥ずかしさに耐えて,敢えてまたこの格言と取り組んだのは,They drove the poor girl out of the village.というような場合のpoorの特別な用法を調べ直したくなったからです.杉山忠一『英文法の完全研究』(学研,1980)から引用しました.文副詞句・モダル副詞句が主語名詞句に属する付加語として現れる構文,というよりは表現法です.Poorでよく例示されますが,casualなどにも見られるらしい.
 おそらくこのような表現法の淵源は,ラテン語をお手本とした名詞化構文にあるのでしょう.それで私にまず(!)思いつくのが,「ユピテルは」の格言の prius の使い方だったのです.これは誤読の恥ずかしさでもあり,そのせいで最初に思い出すのです.「最初に」と表現したいとき,副詞句にせず,名詞句に付加語として付ける方法がありました.これもそうだと慌てて考えたら, priusとprimusの見間違いで,この格言のpriusはpriorの中性・単数・対格形であり,ここではちゃんと副詞として「最初に」と使われています.かくて一連の恥ずかしい行為の流れで,連想が働く次第です.
 何故こんなことを調べ始めたかと言えば,モーゼルの『サリエリ伝』前書きの冒頭の一文、

Mehrere Jahre sind verflossen, seit der merkwürdige Mann, von dessen Leben und Werken diese Blätter Nachricht geben, zwar im Alter schon weit vorgerückt, doch noch in voller Kraft und Gesundheit, den Wunsch gegen mich äuserte, daß ich dereinst seine Biographie schreiben möchte.

「この小冊子がその生涯と作品についてお知らせするかの人物が,かなり歳を取っていたとはいえ,まだ気力も健康も充分であったのに,いつか自分の伝記を書いて欲しいと私に漏らしたのは驚くべきことであったが,あれからもう何年も経ってしまった」

におけるmerkwürdigが、恐らくこの表現法であろうとようやく気付いたからです.「私ごときが」「はしなくも」という,日本人ならよく理解できる文飾であったらしい.恥ずかしながら,こんなことも最初の段階では読めておりませんでした.

 つれづれなる勉強は,「ユピテルは」の格言の大元を調べることに,さらに脱線してしまいました.ソフォクレスの『アンティゴネー』だそうです.620行以下の次のような箇所です:

σοφίᾳ γὰρ ἔκ του κλεινὸν ἔπος πέφανται.
τὸ κακὸν δοκεῖν ποτ᾽ ἐσθλὸν
τῷδ᾽ ἔμμεν ὅτῳ φρένας
θεὸς ἄγει πρὸς ἄταν:

ある者の叡智による有名なことばが明らかにした:
悪しきことを良きことだと思ってしまうこと
それは,その心を
神が滅ぼす人がすることだ.

ここで既に,伝聞になっているので,更に昔から言われてきた格言なのでしょう.
 サリエリの言葉も,モーゼルの言葉も,神に愛されていた者のそれとしか思えません.神に見放された者の狂気の言葉は現代の私たちの周りに溢れているように思えます.

自主ゼミ:ラテン語講読【4/11 10:30】

 千葉大学を定年退職しましたが、ラテン語講読の授業は自主ゼミとして継続します。関心のある方は、どうぞ参加してください。

 これまでと同じ曜日時限(火2)に、千葉大の授業授業カレンダーに準じてZoomで開催します。年間30回です。これから2年掛けて、Tacitus "Historiae" を講読します。テクストはLoeb叢書を使います。

 メールで問い合わせていただければ、接続先などお教えします。
 mishii@faculty.chiba-u.jp


火曜日 10:30-12:00

1. 4月11日(火) ガイダンス (参加者確認、分担決定)
2. 4月18日(火) 1,2
3. 4月25日(火) 3,4
4. 5月9日(火) 5,6
5. 5月16日(火) 7,8
6. 5月23日(火) 9,10
7. 5月30日(火) 11,12
8. 6月6日(火) 13,14
9. 6月13日(火) 15,16
10.6月20日(火) 17,18
11.6月27日(火) 19,20
12.7月4日(火) 21,22
13.7月11日(火) 23,24
14.7月18日(火) 25,26
15.7月25日(火) 27,28

16.10月3日(火) 29,30 (分担の切り方を変えます)
17.10月10日(火) 31,32
18.10月17日(火) 33,34
19.10月24日(火) 35,36
20.11月7日(火) 37,38
21.11月14日(火) 39,40
22.11月21日(火) 41,42
23.11月28日(火) 43,44
24.12月5日(火) 45,46
25.12月12日(火) 47,48
26.12月19日(火) 49,50
27.12月26日(火) 51, 52
28.令和6年1月9日(火) 53, 54
29.令和6年1月16日(火) 55, 56
30.令和6年1月23日(火) 57, 58

最終講義

 いよいよ3月末を以て36年間勤めた千葉大学を定年退職することになりました.コロナの様子もまだ分かりませんので,対面でお集まり頂くことは避け,「最終講義」はビデオ配信という形にさせて頂きます.私の研究生活の原点に戻りまして,「カルミナ・ブラーナとその時代」という1時間50分ほどのお話をまとめました.つたないものでございますが,私としては自分の身の丈に相応しい精一杯のご挨拶でございます.
 「最終講義」とはいえ,授業やゼミ討論や講義は体と頭が続く限り「現役」のつもりで(皆様のご迷惑にならないように)続けますから,本当の意味で「最終」ではありません.どうぞこれからも勉強に誘って下さいますよう,お願い致します.

https://youtu.be/dGYEVEsvZI0

多喜二没後90年

 小林多喜二没後90年にあたるそうですね.記念の「文学のつどい」に参加したのですが,休憩用動画を作りました.もう知る人も少ないだろう「インターナショナル」をアレンジして使っています.お座興に.

https://youtu.be/xpfTFeBUM9A

現役最後の授業

 火曜日2限目は,ここ20年以上やってきたラテン語講読でした.本日が今年度最後でしたが,同時に現役最後の授業となりました.

 計画通りサルスティウス『ユグルタ戦記』を読み終わりました.希代の怪物,ヌミディア王ユグルタも,仲間だと思っていたマウリア王ボックスに裏切られてとうとうローマに敗北します.功あったマリウスとスッラがこの後ローマで絶大な影響力を持ち,「民主制」の根幹を揺るがしていきます.サルスティウスの深い意図を感じさせる結びでありました.

 つたない授業でしたが,参加者の皆さんのご協力でなんとかここまで参りました.カエサル『ガリア戦記』・『内乱記』・『アレクサンドリア戦記』・『アフリカ戦記』・『ヒスパニア戦記』,サルスティウス『カティリナの謀叛』・『ユグルタ戦記』と読み進められました.ありがとう御座いました.

 来年度からも,単位も成績も出せませんが,自主ゼミ・勉強会の形で,引き続きこの時間帯に Zoom でラテン語講読を続けます.ラテン語文法を一通り終えられた方で興味がおありになるなら,どなたでもご参加下さい.連絡を下されば,テクストと接続先をお伝えします.

 来年度からは,Tacitus の "Historiae" と "Annales" に取り組もうと思います。それこそ20年くらいかかるでしょうから,私の力が保つ限り続けます.
 因みに来年度前期は,「ラテン語入門」(オンライン)・「ドイツ語(文学部)」(オンライン)・「ドイツ語(普遍教育)」(対面)✕ 2の4コマ,非常勤で千葉大に参ります.もう半年だけ西千葉キャンパスをうろうろしますので,ご容赦下さい.

訃報:山田小枝先生

 元千葉大学文学部教授山田小枝先生が亡くなったそうです.昭和一桁のお生まれだったので,そろそろ九十歳を迎えようとされていたところだろうと思います.独文科のずっと上の先輩ですが,フランス滞在が長かったのでフランス語も堪能で,一般言語学・理論言語学の分野で『アスペクト』『モダリティ』『否定対極表現』という3冊の重厚な研究書を遺されました.
 御夫婦で大学教員でしたが,お連れ合いを早くになくされました.教育研究と家事育児全般を,今で言うワンオペで大変な苦労をして全てこなされました.研究の時間が中々とれないのが悩みであったそうです.ミステリーがお好きで,アガサ・クリスティーが愛読書で原書で楽しんでおられましたが,クリスティーの作品は昔から独仏にも多く翻訳されていることから,対照言語学研究の例文データをクリスティーの作品のような多言語翻訳から収集する方法を思いつかれ,限られた時間の中でも豊富なデータを元に研究を進められました.趣味と実益を兼ねて,苦肉の策で思いついたのよ,と教えて頂いたのです.何時もながらの飾らない,ざっくばらんな口調でありました.
 質の高いポピュラーカルチャーのグローバルな翻訳交流が大展開し始める,その始まりの時期にいち早くその重要性と有用性を見抜き,言語学研究に生かされた山田先生の研究方法は,私のような後輩に強い印象を与えました.山田先生からこういう方向に目を開かせてもらわなければ,私は自分なりに言語学研究を現代文化研究に生かし,後輩を指導し,助言するなどということはとても出来ないままであったでしょう.ジェンダー差別の中で苦悶したあげくに山田先生が獲得された方法はかえって現代的であったし,それを私が後輩に伝えられたのは,喜びであり名誉とするところです.
 第二次世界大戦直後、東大が女子学生を受け入れ始めたとき,いち早く独文科に横田ちゑ(千葉大)・岸谷敞子(東大)・山田小枝(千葉大)が集まり,後輩女子学生へのロールモデルを作り上げてくれました.学友で仲の良さそうなお三方とも直接接する機会を得た私は,幸せ者でありました.凄まじいエピソードもたくさん伺いました.後輩たちに口伝で伝えて参ります.(教えてくださらなかったこともたくさんあるようです.広島の平和大通りにある「廣島縣立第一高等女学校」の被爆慰霊碑の裏面に掘られている,戦後直後から歌い継がれてきた慰霊の歌の作詞者は岸谷敞子先生であったと最近知りました)

 これでとうとうお三方とも鬼籍に入られました.お世話になりました.安らかにお休みください.後輩の女子学生たちが立派に力強く育っておりますから.

25年後の自分に向けたサリエリの挨拶

 恩師ガスマンが1794年に死ぬと,サリエリは,宮廷楽士長の職と共に,ガスマンが1771年に設立した「音楽家協会(音楽家寡婦・孤児年金互助協会 das Pensionsinstitut für Witwen und Waisen der Wiener Tonkünstler)」の運営を引き継ぎます.その互助会が1796年に創立25周年記念を迎えると,記念コンサートために "La Riconoscenza"「感謝」という世俗カンタータを作曲します.サリエリ46歳の時で,恩師ガスマンも40代半ばで亡くなっているし,サリエリが自分もそろそろ「晩年」だと思っていて不思議はありません.互助会が末永く続くようにとの願いも込め,「感謝」というカンタータのスコアの最後のページに,将来互助会が創立50周年記念のコンサートを行うときに,こういうカンタータを作曲する作曲家やそれを演奏する人びとに向け,祝福と挨拶の言葉を書き込みます.気さくな職人気質のサリエリらしい思いつきだと思います.
 ところが例外的に長命であったサリエリは,1821年,なんとその50周年記念コンサートも自分が主宰し,記念の作品を作ることになるのです.このときサリエリは,ガスマンが50年前の創立記念コンサートに書き下ろしたカンタータ "Betulia liberata"「解放されたベトゥリア」(旧約聖書『ユディト書』の物語で大勢の作曲家が作曲している)を軽く改作して上演することで,創立者ガスマンを称えました.舞台中央に月桂冠をかぶらせたガスマンの胸像を置いたそうです!
 さて,サリエリが結局自分に向けて書いてしまった挨拶は次の通りです.カンタータ「感謝」の直筆手稿は,例によって我等がサリエリゼミの主催者大塚先生がオーストリア国立図書館から見つけ,電子ファイルをシェアしてくれました.

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 サリエリらしいエピソードだと思い,特にご紹介しました.