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タキトゥスとニッパーダイ

 ニッパーダイの浩瀚な『ドイツ史』が邦訳されたそうで,その偉業に賛嘆の思いを禁じ得ません.ニッパーダイの巨大な著作の中からタキトゥスに関する(あるいは通ずる)言葉を探すだけでも価値ある研究になりそうです.しかし拙文の目的はそんな大それたものではありません.
 ドイツ現代史の大家ニッパーダイ(Thomas Nipperdey 1927-1992)は,モムゼン家などと同様,代々続く学者の家に生まれました.父 Hans Carl Nipperdey (1895-1965) は,民法・労働法が専門の法学教授で,連邦労働裁判所長官を務めた人です.祖父 Ludwig Nipperdey (1865-1926) は医学者だったそうです.その上の代,曾祖父の Carl Ludwig Nipperdey (1821-1875) が西洋古典文献学者であり,特に Tacitus の研究で知られ,タキトゥス全集の校訂を行っています.私がここで触れるのはこの曾祖父の方です.
 今自主ゼミのラテン語講読でタキトゥスの『歴史 Historiae』を読み進めています.C.H.Moore が校訂したLoeb のテクストを使っています.最小限の「異本校合」 (textual variants) が付いています.といっても,ご承知の通りタキトゥスの写本は一本しか伝わっておらず,メディチ家が所有していたその写本は Biblioteca Medicea Laurenziana にありますが,電子版で公開されています. I,44/45/46あたりの話題を紹介します.
 古典学者ニッパーダイによるタキトゥス研究は150年以上前のものになり,さすがに今日参照されることはないのですが,珍しく今授業で使っているMooreの注に出てきました.I,44の最後のところ,皇帝ガルバに対する反乱において功績があったから褒美をくれという反乱兵からの申請書 libellus が 220本も次の次の皇帝ウィテリウスに発見されたのだそうですが(といっても紀元70年に皇帝が3人交代しました),ウィテリウスは全員捕らえて処刑せよと命令したそうです.それは別にガルバの名誉のためではなく,秩序を守るべき皇帝の仕事だったということなのですが,その「ガルバの名誉のためでなく」という原文が,写本では non honore Galbae になっています:

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 典型的なカロリング・ミヌスケルで書かれています.ñ は non の略号です.honore の部分に赤線を引いておきましたが,次の行にreがまたがっています.これをニッパーダイが honori に修正したのだそうです.honoreだと奪格で「ガルバの名誉において」ですが,honoriで与格にして「ガルバの名誉のため」という意味を取り,書き手の間違いだろうと判断したのです.以後ニッパーダイの修正が踏襲されたようです.失礼ながら,今日でもニッパーダイの名前が出るのは珍しいことだと思います.
 ちなみに下の赤丸の印は,大きな区切りを示しています.現在テクストに付けられているパラグラフの区切りはだいたいこの写本の区切りに従っています.ここでも,その印の次の文から,I,45が始まります.中世の写字生が整理のために付けた区切りが今も利用されているようです.ただし,全てが採用されるわけではなく,この区切り自体が後世の校訂者の判断になります.
 この直ぐ次にも,面白い例があります.ガルバが惨殺されたとみるや,これまで反乱者オトを悪し様に言っていた人々は手のひらを返したように態度を変え,人々は上下を問わず先を争って兵営にいるオトの元に走ります.人を押しのけ,反乱兵の決断を称え,ガルバを罵って見せ,オトの手に恭順の口づけをしようとするのです.
 ここでタキトゥスらしいコメントが入ります:quantoque magis falsa erant quae fiebant, tanto plura facere. (I,45)「為されたことが偽りであればあるだけ、いっそう多くのことを為す」.このfacereは述語不定詞です.人々の醜態を述語不定詞で並べてテンポ良く記述し,その最後の部分になります.ところが,「異本校合」によると,写本にはfiebantではなくflebantとあるそうです:「懇願することが偽りであればあるだけ~」.タキトゥスの口調にはどちらも合うような気がしますが,このテクスト修正に諸家の意見が一致しているのには理由があるのでしょう.

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 赤線を引いておきました.確かに flebant になっています.この写本では i の上に点が打ってあり,lとの区別は明白です.書き間違いもありうると思います.恐らく facere と fieri という関連語を使う方が効果的な構文であると研究者たちに判断されたのだと思います.タキトゥスならやりかねないということでしょうか.
 なお,赤丸を付けた区切り記号がありますが,現代の校本において,ここでは普通パラグラフを区切りません.
 もう一つ珍しい例がありましたので,紹介します.この直ぐ次です:

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 I,45と46の区切りの辺りです.区切りの記号が2つ赤丸で示してありますが,上の方では切れず,下の方で切れています.下の区切り記号の次の語は Oiaと書かれた i の上に「鼻音点」という波形のアクセント記号が付いていて,鼻音n/mが省略されたことを示します.Omniaです.
 面白いのは,赤い下線を引いた箇所です.時々あるのですが,羊皮紙には最初から穴が空いていることがあります.後から破れて出来たのではなく,既に書き込む段階で穴があったのです.赤線の箇所に穴の影が見えます.書き手はこの穴をよけ,adfir-----mansと1つの語を分けて書いているのです.
 こういう穴は馬鹿になりません.今のようにコピー技術が発達していなかった頃には,この穴から後ろの頁の字がのぞき、しかもあまりにもうまく重なったため,どこにもない珍しい語が出来てしまい,ながらく学者たちの論争になったことがあったそうです.これだから写本というものは実物を見なくてはならないんだと,ビショッフ先生から習ったと,フォルマン先生に習いました.
 写本によっては,退屈しのぎに大文字の中に人の顔が描いてあるなどは余裕で,猫の足跡が残っているものもあるそうです.是非そういう写本に巡り会いたいものです.この穴などは,猫の足跡の興味深さには及びも付きませんが,軽い雑談のためにご紹介しておきます.