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cisとtrans

 ラテン語の「cis/citraとtrans」,「cis/citraとuls/ultra」の対立の違いを理解することは,かなり厄介です.

 「cis/citra こちら側の」に対して,山や川などの明確な区切りを超えた向こう側を「trans 向こう側の」で表します.造語成分にもなり,”cisalpinus, -a, -um” 「アルプスこちら側の」vs. “transalpinus, -a, -um”「アルプスの向こう側の」とか,”cisrhenanus, -a, um”「ライン河のこちら側の」 vs. “transrhenanus, -a, -um”「ライン河の向こう側の」などがよく使われます.
 この造語の用法が要注意で,Gallia cisalpina「アルプスのこちら側のガリア」, Gallia transalpina「アルプスの向こう側のガリア」でよく使います.更に「アルプスのこちら側のガリア」を,Gallia cispadana「ポー川のこちら側のガリア」、Gallia transpadana「ポー川の向こう側のガリア」に分けます.
 イタリア半島北部のポー川流域の地域までローマ人はガリアと呼んでいた,という点にハッとするのが,ラテン語学習の初級です.
 同じくGermani cisrhenani「ライン河のこちら側のゲルマン人」,Germani transrhenani「ライン河の向こう側のゲルマン人」もよく使われ,ゲルマン人がライン河西岸にも居住していたことにも驚かされます.
 そして「こっち」「あっち」という観点も,当然ローマから見てのことであり,特定の中心や原点が暗黙のうちに設定され,前提とされているものだ,と理解することが必要です.これは「極東」やら「中近東」という名称の偏向を理解することにつながりますが,それより何より,実際古典学の実用的な問題でもあり,「ローマを中心にした上での表現だ」ということを常に意識していないと,テクスト読解の上で地理関係が分からなくなってしまうのです.
 さらにここから理解すべきなのは,どれほど峻険な山,大河であろうとも,決して人間の生存圏にとって越えがたい境界などにはならず,今の私たちが心配しなくても古来人間は山を越え,川を渡り,その両側で生きるものらしい,ということです.
 川や山を強力な区切り,境界として考えるのは,軍事的な関心や土地所有や領土の関心からです.「アルプスのこちら側向こう側」などという区別は,ローマ人が言っていることに過ぎません.cis/citraとtransの対立を読解することは,ローマのimperiumの覇権や防衛の関心をたどることに等しい.むしろ「こちら側」などというものの理解はそんなに簡単なことではないようだと学ぶべきところではないかと思います.

 一方,「cis/citra こちら側の」に対して,「こちら側」に属すると暗黙のうちに前提とされている領域を越え出たところを「uls/ultra 越えた向こう側」にあると呼びます.元来「遠く隔たった」という意味ですが,そこから,最早「こちら側には属さないところ=遠くある」と捉えるようです.
cis/citraには形容詞形 *citer, -tra, -trumが,uls/ultraには形容詞形 *ulter, -tra, -trumが対応しますが,このままの形で原級として使用されることはなく,比較級 ”citerior, citerius”, “ulterior, ulterius”,最上級 “citimus, -a, -u",“ultimus, -a, -um”で用います.transは,特定の境界線を越えたか越えないかが問題だからだろうと思われますが,比較変化はありません.
 最上級のultimusが「最果て」を意味することを考えると,uls/ultraでは「こちら側」の領域を越え出て,離れていった,その距離感が問題になっていることが分かります。
 この比較級は,Gallia citerior (=cisalpina), Gallia ulterior (=transalpina),Hispania citerior, Hipania ulteriorというふうに使用します.ローマから見た大雑把な位置関係を表していくのです.

 古くから辞書や参考書は,cis/citra-transとcis/citra-uls/ultraの違いを説明するのに苦労してきました.Hermann Menge: Repetitorium der lateinischen Syntax und Stilistik(私の手元にあるのは11版の再版ですが)にはcis/citra-transが直接に接している領域同士に用い,cis/citra-uls/ultraが直接には接していない領域同士に用いるという記載があります(Zweite Hälfte, S.105, 144)が、私が考えても的外れなように思えます.実際にThorsten BurkardとMarkus Schauerによる大改訂(2000)では完全に削除され,ultraが「越え出る」という意味から,広く比喩的に用いられることが説明されています(265).Christian Touratierの説明が,図入りで一番分かりやすいものでした(私はドイツ語訳しか持ってません).
 
 ローマ帝国もとっくに滅び,中世ともなると,ローマから見て,という「こちら側」への批判的意識が薄れ,transとultraの区別は全く見えなくなってきます.中世以降造語に混乱が見られるのも当然かも知れません.問題なのは cis をしっかり捉えられるかどうかです.
 「この世のことではなく,彼岸の世界の」という場合,transmundanus, -a, -umとultramundanus, -a, -umのどちらが正しいと思われますか?こちらの世界とあちらの世界mundusの間に確たる境界があるわけでもないので,古来あるのはultramundanusの方ですが,中世からtransmundanusが現れます.海を隔てた向こうはどうでしょう.もちろんtransmarinus, -a, -umですが,中世になってアフガニスタン渡りのラピスラズリを知った時,ヨーロッパ人はこれをazzurum ultramarinumと「海外から来た青色顔料」と呼んだのだそうです.

 「こちら側」が何なのか,見失うことはたやすいようです.