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相変わらずお菓子

 巣ごもり生活のせいなのか,通販の利用に拍車がかかったような気がします.SNSで今まで知らなかった地方名産のお菓子を紹介されると,ついアマゾンで探します.
 北海道の一部では有名な「大嘗飴」というのは,昔懐かしい素朴な麦芽糖の風味と,これも懐かしい,割って食べるような大きさの飴でした.またとても堅いもので,噛んではならない,歯が折れますという注意を受けましたが,大げさではないらしい.現に紹介してくれた北海道出身の知人は,久しぶりに口にしたこの飴を子供の頃のように噛んだせいで,あっという間に歯の詰め物が2つ抜けたそうです.

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 別の知人からは,九州南部で広く行われているというハレの食べ物「あくまき」(「灰汁巻き」らしい)を紹介されました.たっぷりときなこをかけていただきます.「ゆべし」とか「ういろう」とか「すあま」とか,こういう食感のものは好物なので,喜んで賞味いたしました.が、何しろ純粋に餅米からできているので,一本が相当なボリュームであり,別にボリュームは驚きませんが,ただでも巣ごもりで増えた体重のためには良いものではなかったようです.

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 そうそう,そういえば,ドイツの知人が送ってくれたモーツアルト・クーゲルが,こんなに洗練されていて驚きました.美味しいのですが,かえって物足りない気さえしました!

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松村禎三作曲「TOMORROW 明日」

 現代日本の作曲家の作品には興味も関心もあり,好きな作品もたくさんあります.昔は視聴の機会を得ること自体が難しいものでしたが,近頃はCDも多く出され,何よりネット上で音源に触れることが比較的容易になりました.けれども,大作曲家たちが映画のために作った音楽は,伊福部昭の『ゴリラ』など少数の例外を除けば,サウンドトラックのCDすらなく,「使い捨て」られていくのがなんとも残念です.
 みなさん亡くなってしまいましたが,作家の井上光晴(1926 - 1992)の『明日―1945年8月8日・長崎』(1982)を,映画監督の黒木和雄(1930 - 2006)が「戦争レクイエム三部作」の第1作「TOMORROW 明日」として映画化し(1988),この音楽を作曲家の松村禎三(1929 - 2007)が作曲しました.原作も映画も音楽も好きなのですが,松村禎三の音楽の音源がなかなかありません.旋律というものはこういう風に考え抜いて構成するものなのだというお手本のような作品で,こんこんと湧き出るような静かな悲しみが胸にしみます.その昔「原爆文学」の連続講義をした際に,まだネットも発達していなかった時代だったので,原作と共にぜひこの松村の音楽も紹介したいと思ったのですが,音源を探すのに苦労した覚えがあります.
 現代日本の作曲家による弦楽オーケストラ作品を精力的に演奏している「オーケストラ・トリプティーク」が,松村の「TOMORROW 明日」を演奏会で取り上げ,CDにもし,ネットにも公開しています.

https://www.youtube.com/watch?v=500USOktnDU&list=RD500USOktnDU&start_radio=1

 無知で恥ずかしいのですが,こういう曲は,楽譜も出版されていないのでしょうか.「ペトルッチ楽譜ライブラリー」で古い楽譜を探すと,ちょくちょく手稿に行き着くのですが,昔の時代だからと言っていられないのかもしれません.今は楽譜ソフトが発達したので,埋もれた曲の楽譜を「刊本」にする,青空文庫のようなプロジェクトがあるべきかと思います.

Arthur Lourié: Cinq Préludes Fragiles

 忙しいときにこんなことしちゃったんですけど,ルリエの「こわれそうなプレリュード」全5,ストリングス版に編曲・シンセサイズしてアップしました.

https://youtu.be/AOz5tyHI-B8

 授業で使いたくて,Ernest Bloch: Baal Schemの楽譜を眺めていますが,コンピュータ音楽にするのは,私の力では無理なようです.ーーーところで,音楽家のErnest Bloch (1880 - 1959) を検索すると,間違えて哲学者のErnst Bloch (1885 - 1977) の写真が使われているサイトが複数引っかかります.活躍した年代も同じだし,名前も似すぎていますものね.

 ちゃんと原稿を書いたり,授業準備をしたりします.

まの瀬『顔がこの世に向いてない。』

 新学期が始まって,落ち着かない日々が続きます.あっという間にゴールデンウィークが目前です.

 余裕のない毎日ですが,良い作品に出会えました.「ジャンプルーキー」から認められて本紙連載にデビューした,新進気鋭の漫画家,まの瀬『顔がこの世に向いてない。』(ジャンプコミックス・全3巻)には,本当に心打たれました.いわゆるラブコメで,少々誇張気味に描かれてはいるけれど,ルッキズムに痛めつけられ,自分を見失いそうになる関東地方の高校生たちが,必死になってもがきながら,自分の進むべき道,友愛と信頼を取り戻していきます.幼いが真剣な理屈っぽさが横溢していて,それがとても初々しく,愛おしい.主人公の少年がトンネルをくぐり抜けながらこれまでの経験を振り返り,人生の岐路に立ち向かう決断をする場面は圧巻でした.私は古い世代ですから,連想したのはアニメ『ホルス』の名場面「迷いの森」でした.誠実さ,志の高さ,品格が争いようもなくにじみ出てきます.まの瀬さん,どうもありがとう.このかわいらしい登場人物たちと共に,まの瀬さんがますます活躍されることを期待しています.


葉柳和則(編著)『ナチスと闘った劇場』

 葉柳和則(編著)『ナチスと闘った劇場 精神的国土防衛とチューリヒ劇場の「伝説」』(春風社,2021)を,共著者の市川明先生を通じて御寄贈戴きました.ありがとうございました.

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 ナチスに追われた亡命演劇人を起用し,ナチスに焼かれた作品を上映し続けた伝説の「チューリヒ劇場」を多面的に明らかにする重厚な共同研究の成果です.

 市川先生ご無沙汰しております.定年後もますますご活躍で,まぶしいばかりです.こういうものも紹介して下さいました.

『Musical 地下鉄1号線 The new world』
原作:フォルカー・ルートヴィヒ「Line1」より 
翻訳・台本:市川明(大阪大学名誉教授)
翻案・演出:中立公平  
作曲・編曲・指揮: 西村友

撮影:2021年3月20日(土)天王寺公園

https://www.youtube.com/watch?v=kB6j9TeQyXo

「中高ドイツ語における心態詞としての doch 」「データサイエンス教育の一環としてのコンピュータ音楽入門」

 授業が始まっててんやわんやです.学生の皆さんにすぐに対応できなくて申し訳ありません.年度末にばたばたとまとめた論文が公開されました.恥ずかしいものですが,お知らせします.

石井正人:中高ドイツ語における心態詞としての doch について.
千葉⼤学⼈⽂公共学府 研究プロジェクト報告書 第 364 集『⽂化交流研究』 pp. 1-12、2021 年

https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/109539/364-P001.pdf

石井正人:データサイエンス教育の一環としての「コンピュータ音楽入門」
―ニューラルネットワークを用いた歌声シンセサイザーNEUTRINO を使って.
千葉大学人文公共学府 研究プロジェクト報告書 第 362 集 『高等教養教育研究』pp. 1-28 2021 年

https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/109537/362-P001.pdf


土田知則先生、さようなら

 本日2021/03/31をもって土田知則先生が定年で千葉大学文学部を去られます.コロナ禍のせいで,最終講義もなく,記念のパーティもないお別れでした.
 僭越ながら私が,みなさまを代表して「土田先生を送る」という一文を紀要に寄稿いたしました.以下に再掲いたします.

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 2021年3月をもって土田知則先生が定年で本学を去られることになりました.お世話になった文学部教員の後輩の一人として,一言お別れの言葉を述べます.

プルースト研究と現代文芸理論研究,そしてポール・ド・マン研究をテーマとした重厚な業績で高く評価され,学会において確固たる地位を築いている研究者としての土田先生について,門外漢の私ごときがとやかく申し上げる筋合いは御座いません.土田先生のような立派な研究者を同僚に持つということは,それ自体私にとっての大きな誇りであったし,正直に白状しますが,それに加えて色々な疑問をすぐ気安く土田先生のような大学者に質問できるというのも実にまた大きな利点でありました.
 「非ナチ化と現代文化」というテーマはどんな専門分野に携わっていようと避けて通れないものだと思います.私もドイツ語教員のはしくれなので,私にとってもこれは身近なテーマです.土田先生のポール・ド・マン研究は,ポール・ド・マン事件を中心に,この「非ナチ化と現代文化」という問題に関する最新の議論とその成熟度を学ぶために,つきぬ源泉となっています.
 また土田先生は,自分の研究だけに閉じこもる人ではなく,難解な現代文言理論研究の成果を,学生にも分かりやすい形でまとめてくれたので,卒論で難しい対象に挑もうとする学生と,その学生を指導しかねて立ち往生する私とにとって,どれだけ助けになったか分かりません.
 倦まず弛まず研究を続けるその姿勢も,誠実に学生に向き合って丁寧に指導するその姿も,大学教員としては当たり前のことではありながら,なかなか土田先生のように貫けるものではないと,常々この後輩は嘆息しておりました.学生たちも勿論同じ気持ちだと思います.
 そして、土田先生の門下から育って教職に就いている諸君は,何卒この土田先生の教育研究の在り方を忘れず、継承して欲しいと思います.

 けれどもこういう研究者や教育者としての土田先生以上に私が惜別の思いを強く抱くのは,はにかみ屋で引っ込み思案で,繊細で傷つきやすく,やさしくて人の良い同僚としての土田先生であり,いかにもそれらしい洒脱なフランス文学者としての土田先生です.
 土田先生は生来立ち回りが下手だし,派手な身振りも出来ない愛すべき方です.管理業務を任せても,持ち前の真面目さで本当に精一杯こなし,見事に片付けているのを,私は身近に見て知っていますが,良くも悪くも目立とうとしないので,ちっとも評価されない.人ごとながら悔しい思いをしていたのです.余計なお世話で,本人はそれで良かったのかもしれません.
 1981年に千葉大文学部が誕生したときから,1994年に文学部が現在の形に改組されるまで存在した「仏文科」の最後のメンバーが,これで千葉大学からいなくなります.土田先生は,外国語・外国文学系の講座の中で,最も多くの典雅な趣味人,華麗な才人を輩出し,繊細にして儚いダンディズムを誇った仏文科というものの香気を千葉大文学部の中に伝えてくれた,最後の人材であったように思います.  
 1994年の改組で,伝統的な外国語・外国文学の講座は解体され,語学・文学・文化研究に再編成されました.同時に解体された教養部から文学部に拾って貰って移籍してきた私に,旧仏文科の林田遼右先生と土田先生がとても温かく接してくれたのを今でも感謝しています.私が昔使ったフランス語の教科書の著者であり,一生懸命聞いていたラジオのフランス語講座の講師だった林田先生と身近に接することが出来たことも感激でしたが,仏文科の大先生と愛弟子の洒落た交流も眩しいものでした.林田先生と土田先生の学識に触れる機会を得ただけでなく,そもそもあのような場に同席できること自体が得がたい体験なのです.
 趣味と学識が飄逸に調和した,外国語・外国文学研究の古い楽園は失われたのでしょうか.失われたとしても,それは大学を疲弊させた改組のせいでも,人文科学を無闇に憎む偏見のせいでも,コロナ禍のせいでもありません.何があっても卑俗に堕さず,素朴な善良さを失わないでいられる気品が衰退していくのが一番耐えがたい.土田先生をお送りすることが,確かにそこにあった気品ある楽園との永遠のお別れであるような気がして,それが一番悲しいのです.

 土田先生,お世話になりました.本当にありがとう御座いました.お元気で.

卒業式・修了式

 サクラが満開の中,3月23日(火)に学部卒業式,3月25日(木)に大学院修了式が無事行われました.制限の多い中で,そそくさとしたお式でしたが,何とか対面でお祝いができました.
 コロナ禍の中で,ろくに相談にも乗れず,資料の紹介もできなかったのに,みなさん立派な卒論や修論を完成させ,たびだっていきました.勉強会もまだ途中,聞きたかったこともたくさんあったのに.

 お花をありがとう.さようなら,お元気で.

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訃報:須藤(香田)温子先生

 日本大学藝術学部教授,須藤温子(すとうはるこ)先生が2021年3月19日に逝去されたとの報に接し,心からお悔やみ申し上げます.享年48,残された御家族の気持ちを思うと,胸が痛みます.
 エリアス・カネッティを中心にドイツ語圏の現代文学を専門とされる氏は,重厚で視野の広い研究で学会をリードしてこられました.これから学会の中枢を担うべき人材でありました.千葉大のご出身で,在学中から異彩を放つ優秀な方でありました.ついこの前お元気な姿を拝見したばかりなのに,もうお話しできる機会もないと思うと,残念でなりません.

 須藤先生が学生時代から,玄人はだしのマンガ作品を描かれていたことを,教え子の皆さんはご存じでしょうか.「いつか川島芳子を描いてみたい」と語っておられた,まだ学部学生だった須藤先生の声が今でも耳に残っています.須藤先生らしい,意欲的な題材だと思ったことです.私などは知らぬ世界,知らぬお名前で,わくわくするような作品をお残しになったのでしょうか.大和和紀『虹のナターシャ』や安彦良和『虹色のトロツキー』を凌駕するような.
 それをもう,ご本人にお伺いできないのです.

 さようなら,須藤先生.

こわれそうなプレリュード

 学校で普通に行われているような西洋音楽史を「ドイツ人のフィクション」という言い方をすることがあります.全てがドイツ人の責任ではないかもしれませんが,音楽史記述に重大な偏りがあることは,モーゼル『サリエリ伝』の勉強会などを続けていたりすると,ますます強く感じます.同時に,現代音楽の始まりについての「ストラビンスキーのフィクション」とでも言うようなものもあるのではないかと私などは思います.もしかしたら「パリジャンのフィクション」かもしれません.
 現代音楽の行く末について,シェーンベルクの切り開いた方向にも,「ストラビンスキーの方向」にも肯んぜず,調性音楽の落ち穂をかき集めるようにあがいた音楽家たち(例えばフランス6人組)が個人的に私の好みです.同じように現代音楽の流れに抗し,スクリャービンの後を継いで,濃密な曲を残した音楽家たち(例えばメトネル)の作品にも惹かれます.
 アルトゥール・ルリエもその一人です.ルナチャルスキーの一の部下で,一時期は革命後のロシアの音楽界を指導したそうですが,亡命後はロシア音楽史から名前を抹殺された感があります.音源が極めて少ないのですが,後年のモダニズムの曲よりは,スクリャービンの影響が濃厚な初期の作品が好きです.好きが高じて,そのルリエのピアノ小品集,作品番号1,Les Preludes Fragiles 「こわれそうなプレリュード」の第1番を,ストリングス用に編曲してみました.

https://youtu.be/GMJo3iRtKI8

さらにコーラスを付け,その上にNEUTRINOの歌声を重ねてみました.NEUTRINOは,ゆっくりしたテンポの曲,長く伸ばす音に弱く,約4.5秒以上の長音をあてがうと,音程が崩壊を始めます.人間離れした速く,細かいパッセージが得意なのですが,そうでない不得手な分野をやらせてみる実験でした.

https://youtu.be/qpx1msTjJC8

NEUTRINO
こわれそうな あなたの プレリュード
弱い あなたの 声が届いた わたしにも
そっと かすかに 始まりを告げる音が
ありがとう あなた
 
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