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ボカロ版「秋のワルツ」(シャミナード)

 公開されて直ぐの【NEUTRINO】を使って「千葉大学歌」や聖歌・賛美歌のボカロを作ってみてからもう半年たちます.ぼやぼやしていたら,どんどん更新されていて,複数の声が実装されたようです.KIRITAN以降の,ITAKO・JSUT・MERROW・YOKOを全て使って実験してみました.それぞれに味わいがあるのですが,いっそ全部使って合唱にしてみると,女声合唱のリアリティが出たようです.
 セシル・シャミナードの晩年のピアノ小品「秋のワルツ」 Valse d'Automne op.169 をまるごと伴奏に使い,歌詞を付けてその「女声合唱」(斉唱ですが)のボカロにしてみました.ピアノ部分はMusescore3で作りました.合唱とピアノは Audacity2.4.2で合成しました.画像は全部千葉大の西千葉キャンパスの秋を過去に石井が撮ったスナップです.パワポで動画にし,AviUtlで音声ファイルと合体しました.

 https://youtu.be/SKWvBAwgjS8

 秋の日の 夕暮れ
 独り帰る 私に
 追いついてくれた あなたは
 息を弾ませ
 うれしそうに 微笑んだ
 会えただけで

 他愛なく 笑い
 訳もなく 駆け出したりした
 あの秋の 夕暮れの
 帰り道

 作り物の恋も 偽の悩みも
 真似事の愛も 無駄な苦しみも
 跡形もなく 笑い 
 訳もなく 駆け出したりした
 まわる まわるよ 踊るように
 二人で 二人で 二人で

 黄金色に輝く
 あなたの瞳 まぶしく
 風になびく 髪が
 愛おしくて

 秋の夕暮れ 
 軽やかに走り去る 後ろ姿よ
 光の彼方へ
 一人残されて知る 本当の孤独を
 二度と戻らない 輝く時よ

 今もあなたを
 探し続ける

 ふたりの
 ふたりの

(pour Maï de noir)

川野里子歌集『歓待』

御家族の千葉大学名誉教授高橋久一郎先生を通じ,読売文学賞受賞の川野里子歌集『歓待』を御寄贈戴きました.著者サイン入りという願ってもない賜物でございました.川野先生,また高橋先生も,どうもありがとうございました.

 最初からお母様の介護と看取りをモチーフに,死に向き合った歌が続きます.

     母死なすことを決めたるわがあたま気づけば母が撫でてゐるなり

 こっそりと私が期待していたのは,『青鯨の日』(1997)に収められた次のような歌の続きでしたが:

     おもしろき男なりけり妻と仕事いづれと問ふに苦しみおりぬ

でもやはり続きでもあるのでしょうか,そこここにQ先生の(愛称で失礼します)影があります.意外なような,そうでしかないような影が.
 コロナ禍の日々,巣ごもりの毎日に,またとない素晴らしい読書でございました.

セシル・シャミナードについて

 作品のテーマやモチーフと形式の間の齟齬ということをよく考えます.残された作品の形を絶対として学問的には分析を進めるわけですが,自由で創造的な作品受容となれば話は別です.それに,個人的な違和感というのも研究の出発点としては重要です.中世ドイツ文学の抒情詩に有名な例があります.短い男女の応答として残されている作品の細部にどうも多くの疑問がありました.前世紀の中頃に,ある研究者がこれはもともと女性のモノローグだったものを改作したのではないかと大胆だが説得的な説を発表したのです.研究史全体を変えるには至らなかったと記憶しますが,ただこういう早い時期のフェミニズム的・脱構築的な研究はとても印象に残りました.残された作品の形イコール作者の意図として絶対視できないかもしれません.

 フローレンス・プライス(Florence Price ,1888-1953)という作曲家は,アメリカのクラシック音楽史上,初めて黒人女性の「交響曲」作曲家(かつメジャーなオーケストラで作品を演奏してもらえた作曲家)として認められた "the first African-American woman to be recognized as a symphonic composer, and the first to have a composition played by a major orchestra" そうですが,この symphonic composerという言い方に,フェミニズム的音楽研究で詳しく明らかにされているカノンの問題が強く表れているように思います.しかもベートーベンではなくドヴォルザークらしい.個人的な感想ですが,symphonyとmansplainに深い連関があるような気もします.

 逆の方向もあります.20世紀の終わり頃から,アメリカのエイミー・ビーチ(Amy Marcy Beach, 1867-1944)やフランスのセシル・シャミナード(Cécile Louise Stéphanie Chaminade,1857-1944)など初期の女性の職業音楽家が現れます.「舞台映え」のする曲想を選び,それどころかどうも容姿にさえも工夫しなければならなかったようです.何しろ化粧品のコマーシャルにも起用された人です.シャミナードは晩年骨粗鬆症になって片足を切断しなければならなかったそうですが,過度の運動と無理な菜食主義の食事療法のせいで« Épuisée par des courses incessantes, décalcifiée par les excès d’un régime alimentaire végétarien mal conçu, elle doit être amputée d'un pied en 1936 »あったそうです.要は不健康なダイエットに励みすぎたということでしょう.
 シャミナードの作品の多くはサロン演奏会用のピアノ小品で,「舞台映え」がするよう,親しみやすい甘く感傷的なメロディーに,飾りが派手で,音の多すぎる,過剰な作りになっています.クラシック音楽のカノンから見れば,取るに足らない,高い評価の得られない作品でしょう.だからしばらく忘れられました.しかし女性の職業音楽家として受けた制限からシャミナードは意識的にそのような形式を選んだように思えます。というのも,曲想の多くは明らかにそのような小ぶりなサロン風の形式をはみ出していて,高い志や強い意志を表しているように聞こえます.かろうじて彼女たちに許された形式の中に,真意を籠めたのではないでしょうか.

 僭越ながら,実験をしてみました.シャミナードが1908年,その音楽家としての活動がもっとも充実していた時期に発表した「プロヴァンスの詩」Poém Provençalという組曲があります.
1. 荒野にて Dans la lande
2. 孤独 Solitude
3. 過去 Le Passé
4. 夜の漁師 Pêcheurs de nuit
この4曲を,合唱版に編曲してsynthesizeしてみました.

https://youtu.be/mKdZ9NK2jNc

少し詳しい人なら,「1. 荒野にて」を聞いて,聖公会の賛美歌かと驚かれたと思います.これは民謡風のメロディーを使った「夕べの祈り」で,その祈りのつながりで,「2.孤独」で現状の寂しさを省み,「3.過去」で華やかだった活動を反省します.さて「4.夜の漁師」は単なる風景画,旅行者のスケッチとは思えません.大航海に果敢に船出する勇敢な船乗りの詩の趣があります.唐突なコーダは,難破を,すなわち「死」を表しているように思えます.死に雄々しく立ち向かう志を表しているようです.この4曲は,事情が違っていれば,一曲のシンフォニーにまとめられたものではないかと,そんな気がしました.別にシンフォニーになってなくても良いと,私は思いますが.

「助平根性」ということ

 日影丈吉に,「ハイカラ右京」という怪人物が探偵役の,明治初年度を舞台にした探偵小説のシリーズがあります.その中の一作「幽霊買い度し」に,次のような下りがあります.

 安西のインチキ計画にはあきれたが,その幽霊松鶴の十八番も出ないとなると,一同興ざめ顔で,それでも宵のうちは酒と料理に話が弾んだ.が,夜がふけて来るに従い,梅雨の頃の人里離れた城山の中は陰々と底冷えがして来て,亥の刻まで間を持たせるのが次第に苦痛になり,ともすれば一同だまりがちになる.その中では,いちばん無邪気なジイク氏が時計を出して―――そろそろ,ミスタ・サコンのあらわれるタイムですね,と,といった時には,くすぐったい中にも,もしや今夜あたり本物が……という助平根性で,さすがに背筋の寒くなる思いがしたが……


 幽霊が出るという古い城を,物好きなアメリカ人の富豪になんとか売りつけようと,幽霊出現の一芝居を打とうと苦労する場面ですが,ここで気になったのは「助平根性」という言葉です.昭和初年度生まれの我が母親は,品の良い生まれ育ちではないので,時にこの言葉を使っていたのを覚えています.先日この言葉を使おうとして,もしやして今の若い人には通じないのではあるまいかと,今更ながらに気づいた次第です.近くにいた若い人にきいてみると,そもそも聞いたことがない.そこで,

     ①女好きで好色な性癖
     ②セクハラ魂,直男癌
     ③欲深く,未練がましい根性

の三択で聞いてみましたが,①かな,と首をかしげるのも,やむを得ないことだったのかもしれません.

 ついでに青空文庫を検索してみると,坂口安吾ばかりに多くの用例が見つかりましたが,むき出しに①の意味で使われていることが多いようです.中島敦『狼疾記』に一例ありましたが,やはり①であるようです.
 驚いたのは,鴎外訳の『ファウスト』に用例が一つあることでした.

         ファウスト
     3650 丁度あの寺の坊主の休息所の窓から,
        常燈明の火がさしていて,
        それが窓を離れるに連れて段々微かになって,
        闇が四方から追って来るように,
        丁度あんな工合に,己の胸は闇に鎖されている.
         メフィストフェレス
        所がわたしの心持は,あの火見の梯の下から,
     3655 そっと家の壁に附いて忍んで行く,
        あの痩猫のような心持ですね.
        盗坊根性がちょっぴりと,助平根性がちょっぴりと
        あるにはあるが,先ず大体頗る道徳的ですね.

因みに原文は以下の通り:

     (Faust)
     Wie von dem Fenster dort der Sakristey
     Aufwärts der Schein des ewigen Lämpchens flämmert
     Und schwach und schwächer seitwärts dämmert,
     Und Finsterniß drängt ringsum bey !
     So sieht's in meinem Busen nächtig.

     Mephistopheles.
     Und mir ist's wie dem Kätzlein schmächtig,
     Das an den Feuerleitern schleicht.
     Sich leis' dann um die Mauern streicht.
     Mir ist's ganz tugendlich dabey,
     Ein Bißchen Diebsgelüst, ein Bißchen Rammeley.

 Rammeley(i)というのは,英語のramと語源が共通で,「雄羊」という原義から,あの独特な「頭突き」に注目した意味が派生して「打ち込むこと,打ち込む物」(杭など)を意味し,ドイツ語では「押し合いへし合いする」という意味になります.そこから「押す」だ「打ち込む」だというところから俗語卑語の方にも意味が流れ(山羊や羊は「好色」なんだそうで),性交を表します.だからこの箇所は,「泥棒のような気持ちも少し,性犯罪を喜ぶような気持ちも少し」という感じでしょうか.①の意味で助平根性と訳した鴎外の卓見であります.

 私はもっぱら「助平根性」を,性的な意味を離れ,未練がましいしみったれた根性,欲深くけちくさい根性という意味で使ってきたのですが,それはそれで正しいものの,やはり①や②が原義で,そこから③のような,しみったれた欲望と性癖の虜となった惨めな状態一般を指すようになったらしい.
 女性差別・セクハラの①②と,利権にしがみつく③は,やはり切っても切れない関係にあるようです.そのことに今まで思い至らなかったのはまことに私の不明でありました.学生の皆さん,どうかお許し下さい. 

Summer 2020

 教員はみな,採点と来年度の授業準備に追われています.ガイダンスのビデオ準備もやっています.直ぐ夏が来て,オープンキャンパスの準備ということになりましょう.慣れない中を大騒ぎして準備した昨年のものはみなお払い箱です.けちくさい根性を出し,昨年ばたばたと用意したBGMだけは,公開して残しておきます.

Holiday for Linguists (for strings, comp. by M. ISHII)

https://youtu.be/JbnuH274aqE

The Lullaby of Geppetto (for guitar, comp. by M. ISHII)

https://youtu.be/opc64lB1TCc

Menuet summer 2020 (for piano, comp. by M. ISHII)

https://youtu.be/Rfr1Diyz4FI

Robin summer 2020 (for flute and Harp, arr. by M. ISHII)

https://youtu.be/mDumSwt6e38

Dives and Lazarus summer 2020 (for woods, arr. by M. ISHII)

https://youtu.be/jQ_xGiUwrLU

Veni Creator summer 2020 (for brasses and strings, arr. by M. ISHII)

https://youtu.be/SjdaHUNBvJk

「サクレ」の香り

 パリの有名な香水店「オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー」に「サクレ」という銘柄の香料入りキャンドルがあり,「教会の聖堂の香り」という説明がついている,と家族から教えてもらいました.家族はたいそうその香りが気に入り,ついにはどうしても私たちにも嗅がせてみたいと,ビュリーの東京・新宿店まで連れて行ってくれました.

 なるほど,古い教会のお御堂の香りです.まず乳香のあの独特な香りがします.その後,古い木造建築の湿ったような匂いがするのです.石造りの大聖堂ではなく,田舎の教会の匂いです.成分をみると,乳香の他に,パインとジェニパーを使ってあるらしい.それが絶妙な間合いと配合で香ってくるのです.たまらなく懐かしい思いをかき立てます.
 乳香の代わりに日本伝来のお線香の匂いを調合すれば,「お寺の匂い」というフラグランスができましょうか.

 日影丈吉がどこかで「鉛筆の削りかすを燃やしたような匂い」と評していましたが,あの乳香(フランキンセンス)は,今日でも正教会の奉神礼やカトリックのミサでよく用いられます.御公現の祝日(エピファニー)に,生まれたばかりのイエスを訪ねてきた三王(三賢者)が捧げた贈り物が,黄金・乳香・沒薬だったとされています.古代から貴重品であったわけです.

 沒薬についても思い出すことがあります.ルーブルであったか,古代エジプト文化を説明した上に,「ミイラの匂い付き」の絵本というのがショップにあり,まだ小さかった子供たちに買ってやった覚えがあります.においも薄くなり,欲しいという学生さんに譲ったのではなかったか.なんともいえない暗く湿った匂いがしたのですが,あれが沒薬(ミルラ)の香りでありました.殺菌用に古くから使われていたらしい.死のイメージにつながるようです.

 お花や果物の明るく甘い香りではなく,乳香や沒薬のような渋い香りが昔から珍重されてきたことに,匂い文化の奥深さを感じます.つい通販で乳香と沒薬の小瓶を注文してしまいました.研究室に置いておきますから,いつでも気楽に嗅ぎに来て下さいーーーとは気楽に誘えないのが,コロナ禍の緊急事態宣言下のつらいところです.古い教会やミイラの匂いですよ.楽しみにしていて下さいね.

「マ・メール・ロワ」追記

ラベルの『マ・メール・ロワ』について,追加でお話ししておきます.

I 眠れる森の美女のパヴァーヌ
II 親指小僧
III パゴダ人形の醜いお姫様
IV 美女と野獣の対話
V 妖精の園

の5曲からなります.フィナーレの「妖精の園」がどの話をイメージしているのか,実はよく分からないようです.後の4つの曲で想定されているお話は明白で,第2・第3・第4の楽譜の冒頭には,お話からの引用が添えてあります.拙訳で申し訳ないが,ご紹介しておきます:

II Petit Poucet

Il croyait trouver aisément son chemin par le moyen de son pain qu'il avait semé partout où il avait passé; il fut bien surpris lorsqu'il n'en put retrouver une seule miette: les oiseaux étaient venus qui avaient tout mangé. (Ch. Perrault)

II 親指小僧
親指小僧は,通ったところにずっと撒いてきたパンくずをたどれば、帰り道が直ぐに見つかると思っていました。けれどもパンくずが一つも見つからないので、とても驚きました。鳥たちがやってきて、すっかり食べてしまったのです。(シャルル・ペロー)

III Laideronnette, Impèratrice des Pagodes

Elle se déshabillait et se mit dans le bain. Aussitôt pagodes et pagodines se mirent à chanter et á jouer des instruments: tels avaient des théorbes faits d'une coquille d'amande; car il fallait bien proportionner les instruments à leur taille. (M-me d'Aulnoy: Serpentin Vert)

パゴダ人形の醜いお姫様

彼女は服を脱ぐと,湯船に入りました.直ぐに男のパゴダ人形も女のパゴダ人形も歌ったり楽器を奏でたりし始めました。アーモンドの殻でできたリュートを持っている者もおりました。彼らの身長に楽器を合わせなければならなかったからです。(ドルノワ夫人『緑の竜』)

IV Les entretiens de la Belle et de la Bête

―«Quand je pense à votre bon coeur, vous ne me paraissez pas si laid.»
―«Oh ! dame oui ! j'ai le coeur bon, mais je suis un monstre.»
―«Il y a bien des hommes qui sont plus monstres que vous.»
―«Si j'avais de l'esprit je vous ferais un grand compliment pour vous remercier, mais je ne suis qu'une bête. .......... La Belle, voulez-vous être ma femme ?»
―«Non, la Bête !..»
....................
―«Je meurs content puisque j'ai le plaisir de vous revoir encore une fois.»
―«Non, ma chère Bête, vous ne mourrez pas: vous vivrez pour devenir mon époux ! ..»
La Bête avait disparu et elle ne vit plus à ses pieds qu'un prince plus beau que l'Amour qui la remerciait d'avoir fini son enchantement. (M-me Leprince de Beaumont)

美女と野獣の対話
«貴方の善良な心のことを思えば,貴方は私にとってそんなに醜いとは思えません.»
«おお,お嬢さん,仰るとおり,私の心は善良ですが,私は化け物です.»
«貴方よりはるかに化け物であるような男はたくさんおりますよ.»
«私が才気に富んでおれば,言葉を尽くしてお礼を申し上げたところですのに.けれども私はただの獣にすぎません.... 美しい方,私の伴侶になって下さいませんか.»
«だめです,獣さん.»
..........
«貴女にもう一度お会いする望みが叶ったので,私は満足して死ねます.»
«だめです,獣さん,死んではいけません.私の伴侶となるために,生きていて下さい....»
獣は姿を消し,彼女の目に見えたのは愛の神より美しい王子だったのですが,王子は彼女のおかげで魔法を解かれたのでした.

第3曲の「パゴダ人形」については,「マイセン陶器工房」 Staatliche Porzellan-Manifaktur Meissen GMBHのHPを見て下さい.陶器製の首振り人形のことだそうです.

https://www.international.meissen.com/900380-67823-1.html

第3曲の元になった『緑の竜』という話はあまり知られていませんが,やはり魔法によって醜い姿に変えられた王女と,緑の竜に変えられた王子が,愛によって魔法を解かれ,結ばれる話です.「美女と野獣」と基本的に同じ方向の話なのです.
ラベルがおとぎ話の中からこの4つを選んで子供向きの連弾曲にした意図がとても気になります.

何も知らないまま呪われて生まれてきた子は(第1曲),醜い姿を嫌われて森に捨てられ(第2曲),怪しく滑稽な人形たちの魔法を引き出して助かったり(第3曲),幽閉した美女の心を言葉巧みに引き寄せて助かったり(第4曲)して孤独な人生の窮地を切り抜け,救いの園に到達したようです(第5曲).愛の力で呪いを脱してきたとはいえ,第3曲はレイシズム批判の観点から,第4曲はフェミニズム的視点からして大いに問題があります.ちょうどディズニー映画が直面している問題の原点がここにあるような気さえします.
この組曲の全体を通じて流れている,抜きがたい寂しさと悲しみの音は,人の世の幸せの儚さと罪深さに打ちひしがれているように思えます.生まれついての「呪い」、生きてあることそのものにまとわりつく「呪い」から人が解放されることはないと―――死によって初めて静かな楽園に到達できるとでも言うかのようです.ハ長調の壮麗な音で終わるおとぎ話の「妖精の楽園」を必要としているのは,子供たちなのではなく,無力な大人たちの方なのだと言われているように,私には聞こえます.

「罪」や「魔法」が何であるか,その数え歌のような第3曲と第4曲を合唱版編曲から外さざる得ませんでした.合唱版編曲は本来私の「研究ノート」で,合唱という制限の中に,誤魔化しのきかない形で楽曲の本質(楽曲と自分の関係)が出ます.
子供好きであったというムッシュー・ラベルは子供たちと向き合うことで生の苦しみの意味をかみしめ,立ち向かっていったような気がします.そんなことを,「マ・メール・ロワ」を聞き返し,読み返すたびに思います.

「インベンション1,4,13」「平均律クラヴィーア1-24」「マ・メール・ロワ」

コロナ禍が再拡大する中,いよいよ入試が始まります.大学側も万全を期しますので,受験生の皆さん、くれぐれも感染対策に務めて下さい.

授業用BGMとして作ったオーディオファイルを公開しておきます.

バッハの「インベンション」の1番、4番、13番を,女性ヴォーカルとダブルベース用に編曲しました.子供の頃にピアノのレッスンで弾きました,懐かしい,などというコメントをくれた学生さんもいました:

https://youtu.be/0vN8MdY6Mh4

同じくバッハの「平均律クラヴィーア」第1巻第24番ロ短調の前奏曲とフーガを,混声4部合唱とチェロのために編曲しました.もちろんストコフスキーのオーケストラ版を意識したのです:

https://youtu.be/zBfla3H436U

ラベルのピアノ連弾組曲「マ・メール・ロワ」から,第1番「眠れる森の美女のパヴァーヌ」と第2番「親指小僧」と第5番「妖精の庭」の3曲を混声5部合唱に編曲しました.森に捨てられた子を描いた第2番が昔からお気に入りでした:

https://youtu.be/6V6SoendDP0

お気づきのことと思いますが,往年のスウィングル・シンガーズとか,現代では Laurence Equilbey の率いる Chœur de chamber Accentus から影響を受けたものです.

「悲愴交響曲」

 年が明けましたが,コロナ禍は一向に好転の兆しがありません.1月11日(月)付け「毎日俳壇」に,西川和子が発表した「かつて無き年立ち返る迎へ撃つ」という句の心意気が胸にしみました.春以降,来年度も今年度と同じような隠忍と戦いの日々になる恐れもありそうですが,苦労は分かち合い,助け合って「迎へ撃」ちたいと思います.どうか求めてきてください.

 チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の終楽章は,晴れやかなコーダもなく,あまりにも救いがないので,熱烈なファンがいる一方,なじめない人もいるようです.手慰みにこの終楽章を混声11部合唱に編曲してみました.

https://youtu.be/BRbw9zp-WhM

 この曲の場合も,これは聖歌ではなかったか,祈りの歌として構想されているのではないかという気がしました.冒頭の有名なテーマと,希望をかき立てるような第2のテーマが一度繰り返されるだけの単純な構成ですが,2度目に現れたときの第2のテーマはすっかりやつれ,力を失っています.瀕死の人間が力尽きて倒れ,そのまま孤独に息絶える様を無情に追うような曲の流れです.
 冒頭のテーマは「キリエ(憐れみの賛歌)」で,第2のテーマは「グローリア(栄光の賛歌)」ではないかと思います.ロシア正教ではどのように呼ぶかよく知りませんので,前回のムソルグスキーの場合と同様,カトリックの用語で失礼します.正教の聖体礼儀とミサでは式次第はずいぶん違うようですが,基本の考え方は似ています.神に憐れみを乞う祈りや,神を讃える祈りはどちらにもあります.
 チャイコフスキーの「悲愴」終楽章で,2度目に現れた「キリエ」は苛立つかのように刻まれ,「グローリア」は弱まり,息も絶え絶えになっていくのは,祈りが無力だと絶望していったことを表すのではなく,逆に祈りが通じたからだと思います.祈りが通じ,肝心な魂は天上に去ったから,地上に残された僅かな苦しみの名残が,密やかに呻いているのでしょう.
 こんな地上の惨めな様子にいつまでも義理立てして苦しんでいる必要などありません.本当に悲惨な者,悲愴な者は誰であるか.本当に葬り去られるべき者は誰であるか.それに偽りなく直面させてくれる迫力が,このシンフォニーの魅力ではありますまいか.

かつて無き年立ち返る迎へ撃つ 西川和子

「展覧会の絵」

 ムソルグスキーの「展覧会の絵」の,プロムナードのメロディーだけを集めた合唱編曲版を試作しました.

https://youtu.be/MbHtKxG58nA

 あのメロディーはムソルグスキーの急死した親友,画家のヴィクトル・ハルトマンを表していると私は思っています.第8曲「カタコンベ」の後半部,「死者と共に,死者の言葉によって」に現れる「プロムナード」のメロディーは,死後なお冥界に彷徨う親友ハルトマンの姿であり,そのハルトマンと語り合うムソルグスキーの姿でしょう.そして終曲「キエフの大門」の中程,2度目のコラールが終わり,しばし曲を覆った不安定な雰囲気が晴れていって,きらめく分散和音の中に8小節ほど浮き上がる「プロムナード」のメロディーは,天国の門へと昇天していくハルトマンの姿ではないかと思います。この2曲で,"dies irae" と "in paradisum" の役割を果たし,組曲「展覧会の絵」は全体として requiem になっているのだと思います.
 子どもの頃から大好きな曲ですが,「キエフの大門」の中に「プロムナード」のメロディーが現れるところが昔から気になっておりました.不思議なことに,知り合いの誰も,音楽関係の方でも,それに気付いてさえいないようでした.あの大門は,天国の門ではないでしょうか.

 レクイエムが私たちの心を打つのは,それが本来「生の賛歌」であるからだと思います.故人の歩みを様々な形で思い起こし,様々な「絵」として愛おしみ,こうして故人を生かし続けることであろうと思います.霊魂の不滅とか,永遠の生とかいうものを私たちがほんの少しでも予感できるのは,このような追悼の祈りにしかないでしょうから.

 1年前には想像もしなかった年末になりました.精一杯やっているつもりですが,まだまだ足りないようです.地には善意の人があふれ,「生の賛歌」が鳴り響いていることに,日々力づけられ,感謝しています.

 どうか,良いお年をお迎え下さい.
 
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