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タキトゥスとニッパーダイ

 ニッパーダイの浩瀚な『ドイツ史』が邦訳されたそうで,その偉業に賛嘆の思いを禁じ得ません.ニッパーダイの巨大な著作の中からタキトゥスに関する(あるいは通ずる)言葉を探すだけでも価値ある研究になりそうです.しかし拙文の目的はそんな大それたものではありません.
 ドイツ現代史の大家ニッパーダイ(Thomas Nipperdey 1927-1992)は,モムゼン家などと同様,代々続く学者の家に生まれました.父 Hans Carl Nipperdey (1895-1965) は,民法・労働法が専門の法学教授で,連邦労働裁判所長官を務めた人です.祖父 Ludwig Nipperdey (1865-1926) は医学者だったそうです.その上の代,曾祖父の Carl Ludwig Nipperdey (1821-1875) が西洋古典文献学者であり,特に Tacitus の研究で知られ,タキトゥス全集の校訂を行っています.私がここで触れるのはこの曾祖父の方です.
 今自主ゼミのラテン語講読でタキトゥスの『歴史 Historiae』を読み進めています.C.H.Moore が校訂したLoeb のテクストを使っています.最小限の「異本校合」 (textual variants) が付いています.といっても,ご承知の通りタキトゥスの写本は一本しか伝わっておらず,メディチ家が所有していたその写本は Biblioteca Medicea Laurenziana にありますが,電子版で公開されています. I,44/45/46あたりの話題を紹介します.
 古典学者ニッパーダイによるタキトゥス研究は150年以上前のものになり,さすがに今日参照されることはないのですが,珍しく今授業で使っているMooreの注に出てきました.I,44の最後のところ,皇帝ガルバに対する反乱において功績があったから褒美をくれという反乱兵からの申請書 libellus が 220本も次の次の皇帝ウィテリウスに発見されたのだそうですが(といっても紀元70年に皇帝が3人交代しました),ウィテリウスは全員捕らえて処刑せよと命令したそうです.それは別にガルバの名誉のためではなく,秩序を守るべき皇帝の仕事だったということなのですが,その「ガルバの名誉のためでなく」という原文が,写本では non honore Galbae になっています:

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 典型的なカロリング・ミヌスケルで書かれています.ñ は non の略号です.honore の部分に赤線を引いておきましたが,次の行にreがまたがっています.これをニッパーダイが honori に修正したのだそうです.honoreだと奪格で「ガルバの名誉において」ですが,honoriで与格にして「ガルバの名誉のため」という意味を取り,書き手の間違いだろうと判断したのです.以後ニッパーダイの修正が踏襲されたようです.失礼ながら,今日でもニッパーダイの名前が出るのは珍しいことだと思います.
 ちなみに下の赤丸の印は,大きな区切りを示しています.現在テクストに付けられているパラグラフの区切りはだいたいこの写本の区切りに従っています.ここでも,その印の次の文から,I,45が始まります.中世の写字生が整理のために付けた区切りが今も利用されているようです.ただし,全てが採用されるわけではなく,この区切り自体が後世の校訂者の判断になります.
 この直ぐ次にも,面白い例があります.ガルバが惨殺されたとみるや,これまで反乱者オトを悪し様に言っていた人々は手のひらを返したように態度を変え,人々は上下を問わず先を争って兵営にいるオトの元に走ります.人を押しのけ,反乱兵の決断を称え,ガルバを罵って見せ,オトの手に恭順の口づけをしようとするのです.
 ここでタキトゥスらしいコメントが入ります:quantoque magis falsa erant quae fiebant, tanto plura facere. (I,45)「為されたことが偽りであればあるだけ、いっそう多くのことを為す」.このfacereは述語不定詞です.人々の醜態を述語不定詞で並べてテンポ良く記述し,その最後の部分になります.ところが,「異本校合」によると,写本にはfiebantではなくflebantとあるそうです:「懇願することが偽りであればあるだけ~」.タキトゥスの口調にはどちらも合うような気がしますが,このテクスト修正に諸家の意見が一致しているのには理由があるのでしょう.

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 赤線を引いておきました.確かに flebant になっています.この写本では i の上に点が打ってあり,lとの区別は明白です.書き間違いもありうると思います.恐らく facere と fieri という関連語を使う方が効果的な構文であると研究者たちに判断されたのだと思います.タキトゥスならやりかねないということでしょうか.
 なお,赤丸を付けた区切り記号がありますが,現代の校本において,ここでは普通パラグラフを区切りません.
 もう一つ珍しい例がありましたので,紹介します.この直ぐ次です:

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 I,45と46の区切りの辺りです.区切りの記号が2つ赤丸で示してありますが,上の方では切れず,下の方で切れています.下の区切り記号の次の語は Oiaと書かれた i の上に「鼻音点」という波形のアクセント記号が付いていて,鼻音n/mが省略されたことを示します.Omniaです.
 面白いのは,赤い下線を引いた箇所です.時々あるのですが,羊皮紙には最初から穴が空いていることがあります.後から破れて出来たのではなく,既に書き込む段階で穴があったのです.赤線の箇所に穴の影が見えます.書き手はこの穴をよけ,adfir-----mansと1つの語を分けて書いているのです.
 こういう穴は馬鹿になりません.今のようにコピー技術が発達していなかった頃には,この穴から後ろの頁の字がのぞき、しかもあまりにもうまく重なったため,どこにもない珍しい語が出来てしまい,ながらく学者たちの論争になったことがあったそうです.これだから写本というものは実物を見なくてはならないんだと,ビショッフ先生から習ったと,フォルマン先生に習いました.
 写本によっては,退屈しのぎに大文字の中に人の顔が描いてあるなどは余裕で,猫の足跡が残っているものもあるそうです.是非そういう写本に巡り会いたいものです.この穴などは,猫の足跡の興味深さには及びも付きませんが,軽い雑談のためにご紹介しておきます.

中山千葉大学長死去

 中山千葉大学長が,任期半ばにして亡くなったそうです.これからますます千葉大が発展するところでありましたのに、さぞやご無念のことと存じます.御遺族や教え子の皆様に謹んでお悔やみ申し上げます.

https://www.chiba-u.ac.jp/others/topics/info/post_1247.html


訃報】千葉大学 中山 俊憲 学長 ご逝去のお知らせ
掲載日:2023/11/06

千葉大学 中山 俊憲 学長が、令和5年11月2日(木)に病気のためご逝去されました(享年64歳)。

中山学長は、令和3年4月から千葉大学学長に就任し、本学の発展に多大な貢献をされました。
心から哀悼の意を表すとともに謹んでお知らせ申し上げます。
なお、葬儀等はすでに執り行なわれました。

学長代行 中谷 晴昭

〈略歴等〉
氏名(ふりがな):中山 俊憲(なかやま としのり)
生年月日:昭和34年5月20日
専門分野:免疫学、アレルギー学
学会活動等:日本免疫学会、日本アレルギー学会、日本がん免疫学会、日本癌学会、日本バイオイメージング学会

略歴:
(学歴)
昭和59年3月 山口大学医学部卒業
昭和63年3月 東京大学大学院医学系研究科修了(医学博士)
(職歴)
昭和63年6月 米国国立癌研究所 客員研究員
平成 3年7月 東京大学医学部免疫学教室 助手
平成 7年1月 東京理科大学生命科学研究所 助教授
平成10年4月 千葉大学大学院医学研究科 助教授
平成13年4月 千葉大学大学院医学研究院 教授
平成26年7月 千葉大学 副学長(未来医療担当)
平成27年4月 千葉大学大学院医学研究院長・医学部長
令和 3年4月 千葉大学 学長

fensterln ???

 ドイツ語ならではの名詞に 17世紀から使われはじめたSchriftsteller「文筆家」というのがあって,政治評論,演劇評やオペラ評,文芸評論,たまには詩や散文の創作も書くという,とにかく著述を職業とする人のことです.近代のジャーナリズムや文学に重要な役割を果たす概念です.
 今回驚いたのは,schriftstellernという動詞があり,今でもDudenが収録しているということです.いや,意味は「文筆家を職業としている」ということですよ.規則動詞で,schriftstellern - schriftstellerte - geschriftstellertと変化するそうな.frühstücken「朝食をとる」みたいですね.分離動詞にしちゃいけないんですよ.
 昔中世ドイツ文学の論文を読んでいて abenteuern「冒険する」という動詞があるのにびっくりしてドイツ人の学生に聞いたら,やっぱりびっくりしていた覚えがあります.

 さらに驚いたのは,fenstern/fensterlnという動詞です.今も使うそうです.「窓 Fenster」からそのまま作られた動詞で,fensternなら「窓から放り投げる、捨てる」という意味だそうです.問題はfensterlnの方です.-lnは動詞に付ける「縮小接尾辞」で,「ちょっと~する」という意味になるそうです.このfensterlnという語もDudenにちゃんと収録されていて,南部・オーストリア方言の戯語としながらも,"nachts zu einer jungen Frau ans Fenster gehen [und durchs Fenster zu ihr ins Zimmer klettern]"などと説明されていて,これも仰天しました.要するにどうも「夜這い」のことで,「夜中に窓から若い女性の部屋に入ること」としか説明していないが,これでは犯罪です.説明も悪い.恐らくセレナード流れる,ロミオとジュリエットの大胆なデートのようなことを念頭に置いているらしい.
 調べたら,18世紀のアーデルングの辞書にfensternは出ていて、「窓から捨てる」という意味と「夜這い」という意味と,その両方の意味(こっちはイタリア語から来たのだろうと言いうのですが,こういうことになると直ぐイタリア人のせいにするような気がします)が書かれています.
 一体現代ではどんな使われ方をしているのかと思って例文を探すと、次のようなものに行き当たりました:Er erzählt von der Entwicklung vom "Fensterln" hin zum Online-Dating, die nicht nur eine logische Anpassung des menschlichen Verhaltens an den technischen Fortschritt ist, sondern auch eine sprachwissenschaftlich äußerst interessante Entwicklung in sich birgt.「彼はfensterlnからオンライン・デートまでの発展を語った。これは、技術的発展に対する人間行動の論理的な適応であるだけでなく、言語学的に極めて興味深い発展をもたらしている」
 なんか言い訳めいてにわかには頷けない議論ですが,fensterlnという言葉が,「窓」をインターネットのモニターの意味で捉え直して,Online Datingの意味で使われているらしいことは分かりました.はらはらしましたが,まあ辛うじてそれほど悪くない意味に着地できました.「窓辺で語り合う」それだけでインターネットの時代,随分な可能性が広がりましたからね.
 下品なお話ですみませんでした.

衣装を着けろ!

 ベルリンに2週間ほど滞在し,オペラ・コンサート・博物館を堪能してきました.国立歌劇場 Staatsoper でヴェルディ「ドン・カルロ」(Zanetti指揮,Himmelmann演出),ドイツ歌劇場 Deutsche Oper でプッチーニ「蝶々夫人」(Clampa指揮,Samaritani演出),マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」,レオンカヴァレロ「道化師」(どちらもArrivabeni指揮,Pountney演出)を観ることが出来ました.蝶々夫人を演じた Elena Stikhina,Turiddu と Canio を演じた Mikhail Pirogov,それからNedda の Sua Jo,Beppo の Ya-Chung Huang がとても印象に残りました.

 ベルリン・フィルのホールでMirga Grazinyte-Tyla指揮のミュンヘン交響楽団によるマーラー交響曲第2番「復活」を,コンサート・ホール Konzerthaus では、Joana Mallwitz指揮の同ホール交響楽団の演奏でストラヴィンスキー「春の祭典」を,国立歌劇場のアポロ・ホール Apollosaal で,若手の奏者によるハイドン,フィビヒ,ドヴォルザークの室内楽を聴きました.特に上り調子で活躍中の2人の30代の女性指揮者,ミルガ・グラジニュテ=テュラとヨアナ・マルヴィツの演奏を生で聴けたのは良い経験でした.評判になった映画「ター Tár」を思い出しましたが,2人とも楽団ととても息の合った演奏で,現実の方は映画よりももっと進んでいる(つまらん邪推を振り払って)ような印象を受けました.これらの曲の解釈に必要な「外連味」とか「パフォーマンス」の意味をまっすぐによく把握していることが伝わってきて,小気味の良ささえ感じました.

 「道化師」の有名なアリアは,イタリアオペラのファンだった亡父が特に好きだった曲で(他には「プロヴァンスの海と陸」とか「我が名はミミ」とか),おかげで私も子供の頃から親しんだものです.
 とは言っても,Bah! sei tu forse un uom!「お前人間なんだろう?」と叫んだ後で,わざとらしい高笑いをし Tu se' Paliaccio.「お前は道化師さ」と暗くつぶやき,歌に入って,いよいよ曲の最後の山場に Ah, Ridi Pagliaccio, sul tuo amore infranto ! Ridi del duol che t'avvelena il cor. 「ああ,笑え,道化師よ,砕かれた愛を!笑え,胸をはむ苦しみを!」の後で,またわざとらしく号泣し,ややあって,後奏が雰囲気を変えたところで,決然と幕を払って舞台に向かう(客の目から消える),というおなじみの演出を期待していたのですがーーーもうとっくにそんな古臭い演出はしなくなっているようで,高笑いや号泣の演技はなし,私のような親子二代のオールドファンには物足りないことでありました.

 子供の頃に親しみ,胸を躍らせた曲ばかりに再会できて,嬉しいような,不思議な気持ちがしました.

2023/24 ラテン語初級講読

本年度後期・水5(16:10~17:40)にZoomの自主ゼミで「ラテン語初級講読」を行います。初級文法の復習をしながらイージーリーダーの講読をします。興味のある方は連絡を下さい。折り返し接続先とテクストをお知らせします。千葉大の学事暦に合わせ10月4日(水)~1月24日(水)に15回取ります。

本の修理

 昔から本の修理をしてきました.諦めて断腸の思いで捨て,買い直した本もありますが,ずーっと後悔しています.
 これは,50年近く前から使っている桜井和市『ドイツ広文典』です.元の製本がしっかりしているので,見よう見まねの私のこんな修理でも立派に使いやすくなりました.

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 これも,50年近く前から使っている國原先生の『新ラテン文法』です.修理自体が何十年も前のことなので,くすんでおります.

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 若い方はご存じないでしょうが,昔はスーパーマーケットで買い物をすると,茶色い四角い紙袋に入れてくれたものです.今から考えると取っ手もなく持ちにくいものでしたが,抱えて帰ってましたね.丈夫な良い紙だったので,その袋の紙で修理しました.今は手に入らないので,茶封筒の古いのを切って使います.

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 これは,ランゲンシャイト社の『ラテン語学生大辞典』です.StowasserよりGeorgesより使いやすくて,愛用していたら,外カバーなんてどこかへ行ってしまいました.それでも1980年代の古い本は製本がしっかりしているので,こんなゾンビみたいな状態でも現役です.これには「改訂版」があり,購入して並べてあるのですが,内容が段違いに薄くなって使い物にならないのです.ドイツでももう古典語教育は縮小で,授業のレベルが下がったらしい.残念なことでした.Lewis/ShortとGaffiotは、今ではもうスマホのアプリです!
 学生時代は本当に貧乏だったので,安い(けれども内容のしっかりした)ペーパーバックの辞書に飛びついて喜んで使っていたら,1年経たないうちにバラバラになり,ページも焼けて読みづらくなり,修理がきかず,それでもがんばって使い続けました.使えなくなったぼろ紙の塊になっても惜しくて,ついこの前まで取ってありました.定年になっていよいよ置き場所に困ったので,先日ようやく廃棄しました.
 文法書と辞書を使い潰しては修理する人生でありました.まだ続いていて,さっきも『ドイツ広文典』の再々修理をしたばかりですが.

ドイツ文法の復習!

 猛暑の中でうなっていたら,もう8月が終わります.やっと休暇になったので,ご無沙汰している院生・卒業生・修了生の方と対面でお会いでき,アロハ・カフェでパンケーキ・パーティ,パセラでトースト・パーティ,ろしあ亭でコース,椿屋茶房でクリームみつ豆+氷イチゴの饗宴で,つましいながらなんとか不義理の償いも致しました.
 自主ゼミの他には,もっぱらドイツ文法の総復習にかかりきりでありました.不勉強を痛感する毎日で,dativus judicantisとかQuantorenという文法用語をようやく知るに至り,恥ずかしい思いをしています.genitivus parititivusについては,相変わらず手元の文法書ではそのままになっているようですが,中山先生の『古典ラテン語文典』からquid novi とか hoc consiliiのような場合に使うべきgenitivus materiae/generisという概念を知り,なるほど昔から「部分属格」だけではしっくりこなかったところにようやく蒙を啓いて頂きました.これはこのままドイツ語文法の、genugやnichtと共に使うgenitivusにも当てはまります.
 ちょっと復習を中断して,9月はしばらくドイツに参ります.情勢が情勢なので,昔懐かしい南回りで往復する事になります.途中海外で自主ゼミのオフ会ができるようで,それも楽しみにしています.

Kind や König の話

 Kind やKönig, kindやgentleの語源的つながりについては,さんざん授業で話したよね,と言うのに,長い付き合いの教え子・若い同僚がぽかんとして「埴輪のような顔」をするばかりなので,繰り返しておきます.おおよそ英語を中心にヨーロッパ語関係の外国語にかかわる人なら誰でも知っていて,授業で必ず一度は話しているはずのことなので,ここで事々しく書くのはお恥ずかしいのですが,不肖の弟子のせいです.

 ドイツ語のKind「子供」/König「王」と英語のkin「一族」/child; kid「子供」/king「王」,またkind「種類」/kind「優しい」は,語源的に全て共通で,印欧語の*ĝen-「産む」に由来すると言われています.私の手元にはJulius Pokornyの Indogermanisches Etymologisches Wörterbuch の第2版(1989)しかありませんので,最新の研究をどなたか教えて下さると幸いです.
上に上げたどの語も、共通の先祖から生まれた「一族」を原義とし,「一族に属する者」から「子供」や「王」が派生しているようです.この場合,「子供」はともかく,「王」の意味が派生する流れがよく分かりません.「(高貴な)一族に属する者」という特別な用法から生じたのではないかという説があります.私は「一族を代表する者」という意味から発展したのではないかと考えています.というのも、古い言語の成り立ちを考察しようとするのに,最初から階級差を前提にするのは間違いではないかと思っているからです.
 同様にkind「優しい」も,「生まれつきの性格」「生まれ育ちの良さ」などから発展したのだそうですが,私は「同じ一族の属する者どうしの信頼・安心」という感情から説明出来ないかと思っています.
 他方でこの印欧語の*ĝen-は,ラテン語において、gigno「産む」/nascor「生まれる」/gens「種族」/genus「血統、種族」/natio「出生、民族」という諸語に発展したようです.このうちgenus (generis) がフランス語のgenreとなっていきます.
 ゲルマン語の方の流れと比較して興味深いのは,ラテン語のgensから派生した形容詞gentilisです.ラテン語では「同じ種族に属する」という意味ですが,たとえばフランス語ではgentilは「優しい」という意味の形容詞になり,英語のkindと意味の発展が平行しています.gentilの場合も,「高貴なgensに属する」という原義から発展したのではないかと言われますが,私はkindの場合と同じく,「同じ一族の属する者どうしの信頼・安心」という感情から意味の発展を説明できるのではないかと考えています。
 因みにラテン語のgentilisは,「同じ種族に属する」という原義から,「同郷の」という意味になるのはまだしも,「非ローマ人,野蛮人」という意味も持つようになり,さらに「異教徒」という意味にもなります.「同じ種族に属する」という規定の流動性が良くたどれる意味の発展だと思います.これは別の流れから「ドイツ」ということばの語源にもかかわる問題ですが,きりがないので別の機会にします.

cisとtrans

 ラテン語の「cis/citraとtrans」,「cis/citraとuls/ultra」の対立の違いを理解することは,かなり厄介です.

 「cis/citra こちら側の」に対して,山や川などの明確な区切りを超えた向こう側を「trans 向こう側の」で表します.造語成分にもなり,”cisalpinus, -a, -um” 「アルプスこちら側の」vs. “transalpinus, -a, -um”「アルプスの向こう側の」とか,”cisrhenanus, -a, um”「ライン河のこちら側の」 vs. “transrhenanus, -a, -um”「ライン河の向こう側の」などがよく使われます.
 この造語の用法が要注意で,Gallia cisalpina「アルプスのこちら側のガリア」, Gallia transalpina「アルプスの向こう側のガリア」でよく使います.更に「アルプスのこちら側のガリア」を,Gallia cispadana「ポー川のこちら側のガリア」、Gallia transpadana「ポー川の向こう側のガリア」に分けます.
 イタリア半島北部のポー川流域の地域までローマ人はガリアと呼んでいた,という点にハッとするのが,ラテン語学習の初級です.
 同じくGermani cisrhenani「ライン河のこちら側のゲルマン人」,Germani transrhenani「ライン河の向こう側のゲルマン人」もよく使われ,ゲルマン人がライン河西岸にも居住していたことにも驚かされます.
 そして「こっち」「あっち」という観点も,当然ローマから見てのことであり,特定の中心や原点が暗黙のうちに設定され,前提とされているものだ,と理解することが必要です.これは「極東」やら「中近東」という名称の偏向を理解することにつながりますが,それより何より,実際古典学の実用的な問題でもあり,「ローマを中心にした上での表現だ」ということを常に意識していないと,テクスト読解の上で地理関係が分からなくなってしまうのです.
 さらにここから理解すべきなのは,どれほど峻険な山,大河であろうとも,決して人間の生存圏にとって越えがたい境界などにはならず,今の私たちが心配しなくても古来人間は山を越え,川を渡り,その両側で生きるものらしい,ということです.
 川や山を強力な区切り,境界として考えるのは,軍事的な関心や土地所有や領土の関心からです.「アルプスのこちら側向こう側」などという区別は,ローマ人が言っていることに過ぎません.cis/citraとtransの対立を読解することは,ローマのimperiumの覇権や防衛の関心をたどることに等しい.むしろ「こちら側」などというものの理解はそんなに簡単なことではないようだと学ぶべきところではないかと思います.

 一方,「cis/citra こちら側の」に対して,「こちら側」に属すると暗黙のうちに前提とされている領域を越え出たところを「uls/ultra 越えた向こう側」にあると呼びます.元来「遠く隔たった」という意味ですが,そこから,最早「こちら側には属さないところ=遠くある」と捉えるようです.
cis/citraには形容詞形 *citer, -tra, -trumが,uls/ultraには形容詞形 *ulter, -tra, -trumが対応しますが,このままの形で原級として使用されることはなく,比較級 ”citerior, citerius”, “ulterior, ulterius”,最上級 “citimus, -a, -u",“ultimus, -a, -um”で用います.transは,特定の境界線を越えたか越えないかが問題だからだろうと思われますが,比較変化はありません.
 最上級のultimusが「最果て」を意味することを考えると,uls/ultraでは「こちら側」の領域を越え出て,離れていった,その距離感が問題になっていることが分かります。
 この比較級は,Gallia citerior (=cisalpina), Gallia ulterior (=transalpina),Hispania citerior, Hipania ulteriorというふうに使用します.ローマから見た大雑把な位置関係を表していくのです.

 古くから辞書や参考書は,cis/citra-transとcis/citra-uls/ultraの違いを説明するのに苦労してきました.Hermann Menge: Repetitorium der lateinischen Syntax und Stilistik(私の手元にあるのは11版の再版ですが)にはcis/citra-transが直接に接している領域同士に用い,cis/citra-uls/ultraが直接には接していない領域同士に用いるという記載があります(Zweite Hälfte, S.105, 144)が、私が考えても的外れなように思えます.実際にThorsten BurkardとMarkus Schauerによる大改訂(2000)では完全に削除され,ultraが「越え出る」という意味から,広く比喩的に用いられることが説明されています(265).Christian Touratierの説明が,図入りで一番分かりやすいものでした(私はドイツ語訳しか持ってません).
 
 ローマ帝国もとっくに滅び,中世ともなると,ローマから見て,という「こちら側」への批判的意識が薄れ,transとultraの区別は全く見えなくなってきます.中世以降造語に混乱が見られるのも当然かも知れません.問題なのは cis をしっかり捉えられるかどうかです.
 「この世のことではなく,彼岸の世界の」という場合,transmundanus, -a, -umとultramundanus, -a, -umのどちらが正しいと思われますか?こちらの世界とあちらの世界mundusの間に確たる境界があるわけでもないので,古来あるのはultramundanusの方ですが,中世からtransmundanusが現れます.海を隔てた向こうはどうでしょう.もちろんtransmarinus, -a, -umですが,中世になってアフガニスタン渡りのラピスラズリを知った時,ヨーロッパ人はこれをazzurum ultramarinumと「海外から来た青色顔料」と呼んだのだそうです.

 「こちら側」が何なのか,見失うことはたやすいようです.

代名副詞(Pronominaladverbien)について

 印欧語系の言語を学ぶのに,句・節・構文の理解を固めることが不可欠だが,そのために代名詞と副詞の構造と機能について理解を深めることが重要だと最近つくづく思うようになりました.代名詞と副詞については,高校までの文法では詳しく学びきれないようです.
 中学高校でしっかり英文法を学ぶと,句・節・構文についても,形容詞と名詞という品詞の区別も理解しているので,その先の指導はよく進みます.構文をより深く理解するためには,定形動詞とは何か(何故不定詞を不定詞と呼ぶか),名詞の格の機能を理解する必要がありますが,これには古い形態変化を多く残したドイツ語・フランス語・スペイン語・イタリア語・ロシア語,そしてラテン語・古代ギリシャ語・サンスクリット語を英語と共に学んでいくことが極めて効果的です.
 大雑把に言って,名詞の格の用法と前置詞の機能を学ぶのに副詞の理解が大いに助けになり,冠詞や論理構造を学ぶのに代名詞の理解が重要だと思います.
 たとえば,「中性名詞」 neuter や「中立な」 neutral の語源となったラテン語の neuter は,ne + uter という成り立ちで,uter 「2つのもののうちどちらか」という不定代名詞を ne で否定し,「2つのもののどちらでもない」という意味を表す不定代名詞です.ド・モルガンの法則が文法化されているのです(逆ですが).
 副詞と代名詞の理解が大切だと思うようになると,こんどはその結節点でもある,代名副詞 (Pronominaladverbien, pronominal adverbs)が気になり始めました.位格名詞句を代名詞で表すためのゲルマン語における発明であるらしい.ドイツ語と英語の代名副詞の一覧を作ってみました.

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 英語の方は全てもう余り使われない古風な,改まった語であるようです.ドイツ語の方はよく使う表現であり,人称代名詞と指示代名詞の区別や,副詞句の用法の発展と関連を説明するのにはよい教材であるように思えます.
 この関連でさらに気になるのは,ドイツ語のいわゆる副詞的接続詞,接続的副詞 Konjunktionaladverbien です。成り立ちからいって代名副詞と重なるところが多いのですが,代名副詞のようにすっきりと文法化できないようです.たとえば deswegen は,「wegen + 代名詞の2格」として今でも活発に使用されているわけではありません.

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こちらの表はまだまだ追加が必要です.nichtsdestowenigerとかdeswillenとかderenthalbenが落ちています!またご報告します.