SSブログ

サリエリ晩年の合唱曲 "Spiritus meus attenuabitur"

 夏休みが明けてから原稿と仕事の締め切りに追われ,ブログの更新もできませんでした.少し時間が出来たので,気になっていた事を一つ片付けます.

  1820年の冬にサリエリは痛風が悪化し,痛みで眠れない夜を過ごしたのだそうですが,その眠れない夜に作ったのが "Spiritus meus attenuabitur"という合唱曲でありました.これは旧約聖書『ヨブ記』第17章の冒頭の2行 "Spiritus meus attenuabitur. Dies mei breviabuntur. Et solum mihi superest sepulcrum." 「わが息はすでにくさり,わが日すでに尽きなんとし、墓われを待つ」を混声四部合唱にしたものです.
 ペトルッチにはまだ上がっていませんが,オーストリア国立図書館蔵の手稿を,我がサリエリゼミ主宰の大塚先生が見つけてシェアしてくれました:

spiritus meus_ページ_04.jpg
spiritus meus_ページ_05.jpg
spiritus meus_ページ_06.jpg
spiritus meus_ページ_07.jpg
spiritus meus_ページ_08.jpg
spiritus meus_ページ_09.jpg

急いで清書してみました.私には通奏低音が分からないので,伴奏低音部は数字抜きにしました.またその低音部に間違い(というか現場の演奏者のみに通じる省略しすぎた書き方)が複数箇所あり,修正させてもらいました.美しい曲です:
Spiritus meus attenuabitur-1.png
Spiritus meus attenuabitur-2.png
Spiritus meus attenuabitur-3.png
Spiritus meus attenuabitur-4.png
Spiritus meus attenuabitur-5.png

音源があるようです:
https://www.youtube.com/watch?v=NmexjypflAY&t=70s

素晴らしい演奏です.指揮者の方が手稿から起こして演奏されたのだと思います.

まだ他に片付けたいことがたまっておりますが,とりあえず一つ済ませられました.

25年後の自分に向けたサリエリの挨拶

 恩師ガスマンが1794年に死ぬと,サリエリは,宮廷楽士長の職と共に,ガスマンが1771年に設立した「音楽家協会(音楽家寡婦・孤児年金互助協会 das Pensionsinstitut für Witwen und Waisen der Wiener Tonkünstler)」の運営を引き継ぎます.その互助会が1796年に創立25周年記念を迎えると,記念コンサートために "La Riconoscenza"「感謝」という世俗カンタータを作曲します.サリエリ46歳の時で,恩師ガスマンも40代半ばで亡くなっているし,サリエリが自分もそろそろ「晩年」だと思っていて不思議はありません.互助会が末永く続くようにとの願いも込め,「感謝」というカンタータのスコアの最後のページに,将来互助会が創立50周年記念のコンサートを行うときに,こういうカンタータを作曲する作曲家やそれを演奏する人びとに向け,祝福と挨拶の言葉を書き込みます.気さくな職人気質のサリエリらしい思いつきだと思います.
 ところが例外的に長命であったサリエリは,1821年,なんとその50周年記念コンサートも自分が主宰し,記念の作品を作ることになるのです.このときサリエリは,ガスマンが50年前の創立記念コンサートに書き下ろしたカンタータ "Betulia liberata"「解放されたベトゥリア」(旧約聖書『ユディト書』の物語で大勢の作曲家が作曲している)を軽く改作して上演することで,創立者ガスマンを称えました.舞台中央に月桂冠をかぶらせたガスマンの胸像を置いたそうです!
 さて,サリエリが結局自分に向けて書いてしまった挨拶は次の通りです.カンタータ「感謝」の直筆手稿は,例によって我等がサリエリゼミの主催者大塚先生がオーストリア国立図書館から見つけ,電子ファイルをシェアしてくれました.

lariconoscenza_0b.jpg

lariconoscenza_27vb.jpg

larinconoscenza_27vc.jpg

 サリエリらしいエピソードだと思い,特にご紹介しました.