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訃報:山田小枝先生

 元千葉大学文学部教授山田小枝先生が亡くなったそうです.昭和一桁のお生まれだったので,そろそろ九十歳を迎えようとされていたところだろうと思います.独文科のずっと上の先輩ですが,フランス滞在が長かったのでフランス語も堪能で,一般言語学・理論言語学の分野で『アスペクト』『モダリティ』『否定対極表現』という3冊の重厚な研究書を遺されました.
 御夫婦で大学教員でしたが,お連れ合いを早くになくされました.教育研究と家事育児全般を,今で言うワンオペで大変な苦労をして全てこなされました.研究の時間が中々とれないのが悩みであったそうです.ミステリーがお好きで,アガサ・クリスティーが愛読書で原書で楽しんでおられましたが,クリスティーの作品は昔から独仏にも多く翻訳されていることから,対照言語学研究の例文データをクリスティーの作品のような多言語翻訳から収集する方法を思いつかれ,限られた時間の中でも豊富なデータを元に研究を進められました.趣味と実益を兼ねて,苦肉の策で思いついたのよ,と教えて頂いたのです.何時もながらの飾らない,ざっくばらんな口調でありました.
 質の高いポピュラーカルチャーのグローバルな翻訳交流が大展開し始める,その始まりの時期にいち早くその重要性と有用性を見抜き,言語学研究に生かされた山田先生の研究方法は,私のような後輩に強い印象を与えました.山田先生からこういう方向に目を開かせてもらわなければ,私は自分なりに言語学研究を現代文化研究に生かし,後輩を指導し,助言するなどということはとても出来ないままであったでしょう.ジェンダー差別の中で苦悶したあげくに山田先生が獲得された方法はかえって現代的であったし,それを私が後輩に伝えられたのは,喜びであり名誉とするところです.
 第二次世界大戦直後、東大が女子学生を受け入れ始めたとき,いち早く独文科に横田ちゑ(千葉大)・岸谷敞子(東大)・山田小枝(千葉大)が集まり,後輩女子学生へのロールモデルを作り上げてくれました.学友で仲の良さそうなお三方とも直接接する機会を得た私は,幸せ者でありました.凄まじいエピソードもたくさん伺いました.後輩たちに口伝で伝えて参ります.(教えてくださらなかったこともたくさんあるようです.広島の平和大通りにある「廣島縣立第一高等女学校」の被爆慰霊碑の裏面に掘られている,戦後直後から歌い継がれてきた慰霊の歌の作詞者は岸谷敞子先生であったと最近知りました)

 これでとうとうお三方とも鬼籍に入られました.お世話になりました.安らかにお休みください.後輩の女子学生たちが立派に力強く育っておりますから.