SSブログ

冗談ではないのですよ!

 一般教養の間に,自立した知のあり方を理解し,身に付けて貰いたいと思います.そのためにずっと工夫を重ねるのですが,やってはいけないことだけは2つはっきりしています.
 第1に,中学高校での勉強や知識をまるごと否定したり,馬鹿にしてみせることです.そもそも義務教育の中学校と,進学率が高まったとは言えまだ義務教育ではない高校における学習内容を一緒くたに切ってみせること自体乱暴なことだと思います.未知の分野は誰しも,義務教育である中学校の内容まで遡り,改めて説明される権利があるのです.基礎的な積み重ねがなければ,どんなに優秀な大学生だって専門の内容は身につきません.そのための入試を課し,ふるいに掛けて大学生集めました.しかしどの大学も満点を取らない人でないと入学を許可しない,ということはしていない(できない)はずです.ということは,入学前に身についておいて欲しい学力が100%ではない,ということは承知の上で迎え入れているのです.どんな学生相手にも中高の基礎から説明する必要がある,教材はそのように組むべきだと思います.学生の基礎学力にはばらつきがあるから,話が基礎的すぎると退屈し,授業を馬鹿にする人も当然出てくるでしょう.そういう運の良い学生がいるというのは結構なことだから,教員はそういう学生から喜んで馬鹿にされれば良いのです.さすがに自分の程度に合わない程度の低い授業ばかりではないでしょうから,そういうとんがった学生でも聞くときは聞くでしょう.
 第2に,最初から無駄に挑発的な教え方をしようとしないことです.少し前までの,人権意識が低く,万事野蛮だったハラスメント全盛時代にはそういう教え方が喜ばれたようですが,今は違います.どうせ今どきの学生はこんな程度にしか考えていないだろう,こんな通俗的な「常識」や「紋切り型」や「型にはまった」「狭い」ものの見方をしてるだろう,と決めてかかって授業や教材を準備すると失敗します.基礎的な対象認識そのものが間違っているからです.「近頃の若い者は」とかいう言説が歴史上当たっていたためしがないのは,自分が若い頃に受けた理不尽な扱いで十分身にしみています.むしろ,こんなことをしても良いんだよ,こんな風に広がる方が良いのだよと,楽しく驚かせ,笑われるようでありたい.「きれい事」を年齢相応の経験と知識から改めて力強く訴え,馬鹿にされる度胸を持ちたい.

 リテラシーの授業で,特にそんなことを考えます.自分自身の言葉,主体性,当事者性―――自分を見失わないで,世間と渡り合っていくのために,そこをしっかりしておいて欲しい.院生やポスドクの若手教員と一緒に研究授業をするのですが,彼らにはまだ加齢による垢が付いていないせいか,コンプレックスを威張ることでごまかすような卑しい真似をしないのでこちらも本当に勉強になります.
 たとえば授業の中で,「私の人生を変えたこの一言!」というお題を与えて3分くらいのプレゼンテーションを計画してもらいます.「私の気に入った一言」で楽しく人生を考えるスピーチを準備すれば良いのですが,ついこの前まで高校生だった諸君は中々踏み出せない.若手教員の人など「人のお金で焼き肉を食べたい!」というスピーチを「お手本」として見せてくれ,学生たちを喜ばせてくれました.「若者の~離れ」は間違いで「お金の若者離れ」が正しいと言われるこの時代の若者の苦境を訴えつつ,そのくらい先輩から可愛がられる人になりたいというまとめです.
 院生のプレゼンを批判する回では,「相棒」という人気ドラマのファンの院生が,登場人物の目線の交わし方や並び方から,それぞれのキャラクターや関わり方がどのように表現されているのか,心理学の方法を駆使して,ファンならではの濃密な分析を見せてくれました.その前は若手研究者の人による,翻訳研究の方法を使った,最新の日本マンガの英訳・ドイツ語訳の分析発表でした.話し方やスライドの色使いまで,学生達から率直な感想と批判を受けて,次の回に振り返りをしながら修正版を披露するという組み立てになっています.
 どうやって楽しく驚いて貰おうか,知的に解放感を味わって貰おうか,こちらは一生懸命考えているのです.