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ニーベルンゲン最大の惨劇

 「これがニーベルングの厄災である」"daz ist der nibelunge nôt."と締めくくられる,ドイツ中世の叙事詩『ニーベルンゲンの歌』は本当に血なまぐさい物語で,「かくて死すべき者は皆たおれた」"Dô was gelegen aller dâ der veigen lîp."ところまでいって,敵も味方もなく嘆き悲しむ結末を迎えます.(気になる方もおられるでしょうが feige (veige) は古くは「死すべき定めの」「呪われた」というような意味であったようです)
 ドイツ語史やドイツ中世文学の講義・演習で何回も取り上げてきましたが,私にはどうしても,『ニーベルンゲン』は英雄ジークフリートの物語とも思えないし,ハーゲンとクリームヒルトの対決の物語とも思えません.ワーグナーがほしいままに改作した歌劇の方でご存知の方が多いと思いますが,ここでお話ししているのは12世紀の原作の方です.今年度,授業日程の最後に時間が少し余ったので,悩んだ末にとうとう決心し,一番気になっていたところを講読のテキストに追加で取り上げてみました.愉快な授業にはなりません.

 一体クリームヒルトは物語の最後に誰の手で殺されたか.味方として一緒になってブルグンド側と戦っていた老将ヒルデブラントによってです.クリームヒルトが夫の仇ハーゲンの首を打ち落としたとき,ヒルデブラントはこう言います:

 「『なんたることだ』と侯は言った.『突撃しても楯をとっても最良の戦士たるものが,女の手にかかって命を落とすとは!私は彼の敵ではあるが,こんなことは大きな苦痛である.』」

     "«Wâfen», sprach der fürste, «wie ist nu tôt gelegen
     von eines wîbes handen der aller beste degen,/
     der ie kom ze strume oder ie schîlt gegtruoc!
     swie vîent ich im wære, ez ist mir leide genuoc.»" (2374)

 こうして怒り狂ったヒルデブラントによって,クリームヒルトは切り裂かれて殺されます.かといってクリームヒルトの夫エッツェルはヒルデブラントに復讐するわけではなく,ヒルデブラントと一緒になって多くの一族が死んでしまったことを嘆き悲しむのです.

 男同士の殺し合いにおける敵味方より,女の手で殺されたかどうかが上位の判断基準になるというのです.このクリームヒルトの最期こそ,これまで物語の中で語られてきたはずの一切の大義名分を覆すものであるように思えます.

 前半のもっと悲惨な場面でも同様です.ジークフリートの手を借り、詐欺のような手段で「力比べ」に勝ってブリュンヒルデを妻にしたグンター王は,けれども初夜の床で思いを遂げることができません.力でも負け,ぐるぐる巻きに縛られて,一晩屈辱的に過ごします.仕方ないので,またジークフリートの力を借り,なんと二人がかりで力強いブリュンヒルデを押さえつけ,グンターが強姦に成功するのです.えんえんと何行もその様子が描写されます.さすがのジークフリートも投げ飛ばされますが,ここで負けたら大変だ,と思うのです.

「『これはいかん』と戦士は考えた.『ここで私が一人の娘のせいで命を失うと,これまでそんな風ではなかったような女たちがみな,これからはずっと自分の夫に対し傲慢な気持ちを抱くことになってしまう.』」

     "«Owê», dâht' der recke, «sol ich nu mînen lîp»
     von einer magt verliesen, sô mugen elliu wîp
     her nâch immer mêre tragen gelpfen muot
     gegen ir manne, diu ez sus nimmer getuot.»”(673)

 何よりも大切なのは,戦いに勝つことの一番の意味は,男の支配を守ることだというのです.(結婚前なので wîp ではなくmagt と呼ばれています.また gelp(f) というのは元々光り輝くという意味で,そこからこの時代には「思いあがった」というような意味も表しました)

 この凄惨な「戦い」の末に誇り高いブリュンヒルデは負けて組み伏せられ,グンター様,あなたが女を支配する力のある方だと分かりました,と言うのです.
 こんな凄惨な場面がありましょうか.

 ミンネザングや『トリスタンとイゾルデ』や,フランス渡りの恋愛重視,女性が活躍する物語が幅を利かす「風潮」が気に入らない一群の人びとが(今となってはどこの誰だったか不明なのですが)、意識的に擬古的な素材と文体で『ニーベルンゲン』を作ったと言われています.

 私はこの物語がとうとう好きになれませんでした.そのままこの歳になってしまいました.別に歳を取れば君もわかるようになるよ,とは言われないで済みましたが.