SSブログ

西谷正浩『中世は核家族だったのか』

 西谷正浩『中世は核家族だったのか 民衆の暮らしと生き方』(吉川弘文堂 2021年6月)を一気に読んでしまいました.古代末期から中世末期に至る日本の農村史・家族形態の歴史についての最新の学説を,とても楽しく学びました.稲作の手順,農具の技術的進歩による手間の軽減などまで,がっちり具体的に数字で学べるのは(35頁以下),とてもうれしいことでした.原史料を読み解く楽しみを味わわせてもらえる名著でありました.
 「家族のような身近な存在は、慣れ親しんだ今の制度が自然に感じられ、昔からそのようであったと思い込みがちなところがある」(145頁)というのはその通りで,ジェンダー問題や格差・差別問題を踏まえ,新しい「家族」のあり方が鋭く問われている今の時代に必要な,批判的で長期的な視点を確保してくれるのは,先ず第一にこのような堅実な歴史的研究であろうかと思います.家族形態などというものはイメージや思い込みでなく,ここまでじっくり腰を落として論じるべきものであったと思ったことでした.
 一つ感激したのは,村人の集団が,自然な共同状態から,安定と団結を維持するための何らかの装置を必要とする段階にまで人数を増やしたことを論じるのに,「ダンバー数」が援用されていることでした(121頁).言語コミュニケーション論で欠かせない概念ですが,日本の中世農村史にも威力を発しているとは不勉強にして知りませんでした.このほかにも,文化人類学をはじめとする他分野の知見が適度に引用されていることも印象的でした.
 固い内容とはいえ、温順にして親しみやすい文体であります.冗談(とおぼしき)箇所は,全巻を通じて2カ所しかありませんでした.その一つですが,若狭国太良荘の史料を読み解きながら考察を進める中で,「年貢を払いきれずに村を去る小百姓は少なくなかった。村の排他性が強まるなかで逐電者の運命をひそかに案じていたところ、上久世の三人の逐電百姓、与藤五・孫七・孫八が、逃げた翌年舞い戻って再び耕作地を得ている事実を発見した。年貢未進ということで、領主の手前、ほとぼりが冷めるまで逃がしておいたのだろう」(125頁)と,さりげなく優しく上品に書き込まれた微笑ましい心遣いがとても気に入りました.授業であれば学生が聞き逃すのではないかと,それこそ心配になりました.―――いや,これは余計なことを申しました.
 ようやく夏休みらしい読書でしたが,もう8月も下旬です.