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母音交代(Ablaut)とオノマトペ

 「母音交代(アプラウト Ablaut)」というのは,「変母音(ウムラウト Umlaut)」と並んで,ゲルマン語に特徴的な現象で,昔は大学院入試の「事項説明」でよく出題されたものでした.今では知っていても知らなくてもどうでもいい知識の1つになったようです.現代言語学の論文を読んでいると,母音が変化することをおしなべて母音交代と呼ぶことが散見されます.実際「母音交代」という熟語が意味しうるところを素朴に受け取れば,その理解と用法で十分でしょう.
 母音が変化するのは,実際には周囲の別の母音から影響を受けた結果であるのが普通です.ai > ae > e とか,au > o とかで,連音変化とか音便とか euphonism(euphomism ではない!) と呼ばれるものと同じです.直接接触した母音ではなく,子音を挟んだ後続音節の母音から影響を受けると,ゲルマン語に特徴的な「変母音」になり,こちらは「遠隔母音融合」と呼ばれることもあります.北欧諸語の音韻を理解するために重要な手がかりになります.
 それに対して「母音交代」は本来,周囲の母音に関係なく,母音自体が独自の法則性で変化する現象を指します.印欧語全体に広く見られます.元々は語形変化によるアクセント移動に伴う付随的な現象であったと推定されます.
 ゲルマン語において「母音交代」が「変母音」と並んで重要なのは,ゲルマン語だけがこれらの音韻現象を「文法化」したことです.これらの現象の規則性を利用して、文法的な意味を持たせたのです。
 英語で -ed ,ドイツ語で -te を付けて過去形を作りますが,これは「弱変化(規則変化)」といいます.その他にもっと古い「強変化」(英語では「不規則変化」にまとめられてしまっていますが)という方式があり, sing - sang - sung / sink - sank - sunk のように,幹母音が「母音交代」によって規則的に変化する現象を再利用し,過去形・過去分詞を表すようにしたのです.
 授業で使う資料を添付しておきましょう.

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 ゲルマン語は「母音交代」を再編し,動詞変化の7種類のクラス(類)を作り出しました.ドイツ留学中に古英語,古高ドイツ語,古ノルド語とゲルマン諸語の授業に参加し,ドイツでも少人数の授業にアジア人が目立ったので,その都度教授から珍しがられて声を掛けてもらったものです.それはともかく,興味深かったのはそれぞれの授業の期末試験です.どの言語の試験でも原語のテクストが示され,文中の動詞について強変化のクラスを問うのです.全ゲルマン語で共通のクラス分類になることが本当に実感できました.今でもああいうシステムで教育しているのでしょうか.

 古高ドイツ語を教わったシューマッハー先生は,引退間近の穏やかな老教授でした.ゲルマン語強変化動詞の7クラスの一覧表を配って下さると,しばらく眺め,これは昔同僚の Walter Mitzka と一緒に作ったものだが,ふむ,今見ても良く出来とるな.と感慨にふけってから,授業を始めました.若気の至りで私は内心,シューマッハー先生が作った一覧表が不満でした.簡略すぎる,と思ったのです.私なら,全てのヴァリエーションを網羅して,印欧祖語―ゲルマン祖語―古高ドイツ語―中高ドイツ語―新高ドイツ語という変化の流れが一望できるリストを作るのに!その方が学習に便利なのに!
 帰国して,「ドイツ語史」の授業を担当するようになり,満を持して作った自作の一覧表が,恥ずかしながら上に紹介したものです.恥ずかしながら,と申すのは,儀礼表現ではありません.本当に不出来な一覧表で,あれを作って私は自分の非力を思い知ったのです.あれ以来いつものことで,何をやっても私は詰め込みすぎ,良いつもりで,結局分かりにくいものを作ってしまうのです.いつも,です.教え子や家族に批判され,笑われ続けても、です.シューマッハー先生の一覧表は,切り落とすべきものを大胆に切り落とし,何と明晰で,見通しが良かったことでしょう!

 そうだ,あのとき,シューマッハー先生は教室に入ってくるなり,ヒップハップホップ,ティップタップトップと,不思議な,オノマトペらしきものを口にしながら教室を横切り,正面の席に腰を下ろし,ぽかんとしている私たち学生の方に向き直なおると,「母音交代だよ」と言いました.母音交代というものはね,このように我々の言語意識を深いところで規定しているのだよ,と.なるほど,日本語のオノマトペは「母音調和 Vowel harmony」的です.「母音調和」はウラル・アルタイ系諸言語の特徴ですから.しかしあのときは,それ以上その話題は続かず,すぐに古高ドイツ語の授業になりました.
 何時までも心に残っていましたが,オノマトペの研究に興味が持てないまま,今に至るまでよく考えてもみませんでした.教え子たちが「日本のポピュラーカルチャーの海外での翻訳受容」をテーマにした研究に積極的に取り組むようになって,だんだんにシューマッハー先生のあの言葉の重要性が身にしみてきたところです.うう.残された時間があといくらもないのですが.