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【NEUTRINO】版ホルスト「アヴェ・マリア」

 【NEUTRINO】を使ったAI入門授業の素案を3月に公表したのですが,それからもう半年もたたないうちに追加修正の必要が出てきました.
 第一に当時5つだった音声ライブラリが,更に3つ増え,合計8つの音声が実装されたことです.女声が8種類あることになるので,ホルストの八声の女声合唱曲「アヴェ・マリア」を試作してみることにしました.

https://youtu.be/_C1Nqsfoz9w

 それに伴い,第二に,日本語用の音声に「外国語」を歌わせる実験をしてみました.【NEUTRINO】では単独の子音が実現できないので,従って音節はじめの多重子音や,閉音節が実現できないので,工夫が必要です.ドイツ語やスラブ系の子音が強い言語はまだ無理です.イタリア語かスペイン語,そして何よりラテン語がこの場合取り扱いやすい相手です.
 語末子音はすべて諦めて省略しました.語頭の「破裂音+r」はかろうじて実現できるようです.ventrisはまったく歯が立たず,「べ・とり」と当ててみました.原テクストを知っている私の場合だけかもしれませんが,耳が勝手に補って聞いてくれるので,素人の合唱団が外国語のテクストを苦労して歌っているような感じで,なんとかなったように思います.音程は何カ所か崩れてしまいました.
 多声部の曲であっても,すべて同種の音声で作った方が良いのかどうか,これから実験を続けます.

 長い曲のせいか,楽譜の指定より10%ほどテンポが落ちました.伴奏部分との調整に後でちょっとした苦労がありました.また,冒頭に無断で1小節の間が入りました.ホルスト「アヴェ・マリア」の場合,第2コーラスが1小節後れて始まるので,第2コーラスの各声部は冒頭に2小節の休みを書き込まねばなりませんでした.参考までに.
 私がどんな間違いをやらかしてこんなことになったのか,どなたか教えてくださるとうれしいです.

【NEUTRINO】版 プーランク「アヴェ・ヴェルム・コルプス」

 プーランクの女声三部合唱曲「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を,【NEUTRINO】のMERROWだけでシンセサイズしてみました.

 https://youtu.be/ufOmBpAmxwY

 小田急線でフェミサイド・テロの犠牲となり重傷を負われた方々が,速やかに回復され,後遺症に苦しまれることのないよう,切に祈ります.

千葉大文学部のオンライン・オープンキャンパス

 こちらで広報するのが遅くなりましたが,千葉大文学部のオープンキャンパスが今年度もオンライン開催となりました.様々な紹介ビデオ・模擬授業ビデオがアップされていますので,どうぞご覧下さい.

https://www.l.chiba-u.jp/applicants/guide/guidance/index.html

過去の分もご覧になれます.

国際言語文化学コースの模擬授業は,昨年同様,私が担当しました.

2020年度 模擬授業「ピノキオの話」
https://kystrmapsrv.chiba-u.jp/video/V017281/0015enFpCRf04WEM4fI/

2021年度 模擬授業「死の舞踏」
https://kystrmapsrv.chiba-u.jp/video/V045787/001qM92j5r01jW15Nts/

予備校の先生方の配信とか,「魔理沙と霊夢のゆっくり解説」などレベルの高いシリーズで目の肥えた若い方々には失笑物でしょうが,お時間のある時にちょっとでも覗いて下されば嬉しく思います.

『ちいかわ』2!

一週間前にようやくワクチン2回目を摂取,無事に過ごしております.ひきこもりの癒やしは,これです.本日両方届きました!

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西谷正浩『中世は核家族だったのか』

 西谷正浩『中世は核家族だったのか 民衆の暮らしと生き方』(吉川弘文堂 2021年6月)を一気に読んでしまいました.古代末期から中世末期に至る日本の農村史・家族形態の歴史についての最新の学説を,とても楽しく学びました.稲作の手順,農具の技術的進歩による手間の軽減などまで,がっちり具体的に数字で学べるのは(35頁以下),とてもうれしいことでした.原史料を読み解く楽しみを味わわせてもらえる名著でありました.
 「家族のような身近な存在は、慣れ親しんだ今の制度が自然に感じられ、昔からそのようであったと思い込みがちなところがある」(145頁)というのはその通りで,ジェンダー問題や格差・差別問題を踏まえ,新しい「家族」のあり方が鋭く問われている今の時代に必要な,批判的で長期的な視点を確保してくれるのは,先ず第一にこのような堅実な歴史的研究であろうかと思います.家族形態などというものはイメージや思い込みでなく,ここまでじっくり腰を落として論じるべきものであったと思ったことでした.
 一つ感激したのは,村人の集団が,自然な共同状態から,安定と団結を維持するための何らかの装置を必要とする段階にまで人数を増やしたことを論じるのに,「ダンバー数」が援用されていることでした(121頁).言語コミュニケーション論で欠かせない概念ですが,日本の中世農村史にも威力を発しているとは不勉強にして知りませんでした.このほかにも,文化人類学をはじめとする他分野の知見が適度に引用されていることも印象的でした.
 固い内容とはいえ、温順にして親しみやすい文体であります.冗談(とおぼしき)箇所は,全巻を通じて2カ所しかありませんでした.その一つですが,若狭国太良荘の史料を読み解きながら考察を進める中で,「年貢を払いきれずに村を去る小百姓は少なくなかった。村の排他性が強まるなかで逐電者の運命をひそかに案じていたところ、上久世の三人の逐電百姓、与藤五・孫七・孫八が、逃げた翌年舞い戻って再び耕作地を得ている事実を発見した。年貢未進ということで、領主の手前、ほとぼりが冷めるまで逃がしておいたのだろう」(125頁)と,さりげなく優しく上品に書き込まれた微笑ましい心遣いがとても気に入りました.授業であれば学生が聞き逃すのではないかと,それこそ心配になりました.―――いや,これは余計なことを申しました.
 ようやく夏休みらしい読書でしたが,もう8月も下旬です.
 

オルコットの「煽情小説」・ナイチンゲールの『カサンドラ』

 尊敬する先生方がSNSで面白そうな作品を紹介しておられるので,つい手に取ってしまいました.ルイザ・メイ・オルコット(大串尚代訳)『仮面の陰に あるいは 女の力』(幻戯書房、2021年).
 文学史上「煽情小説」というジャンルが19世紀にあったことを初めて知りました.現代ならスリラーとかサスペンスとかいうものでしょう.ピカレスク・ロマンと呼んでも良いと思います.『若草物語』で名高いルイザ・メイ・オルコットが,自らの作品の登場人物で,作家となる次女のジョーのごとく,駆け出しの頃は変名で,犯罪や悪徳をどぎつい(当時のレベルで)筆致で書いた,売らんかなの低俗な(当時のレベルで)小説を書き散らしていたのだそうです.懇切丁寧な「訳者解題」によれば,「あの当時の暗黒時代には、完全無欠なアメリカ人でさえも、こうした屑のような作品を読んでいた」と『若草物語』の中にもあるそうです.なので,書く方も読む方も名誉なこととはされなかったジャンルの作品だが,よく売れたらしい.
 タイトルがそもそも露骨ですが,内容はそのままです.イギリスを舞台に,貧困の中に生まれ育った若い女性が,才覚を頼りに,ありとあらゆる手段を用いて「お家横領」に成功し,ついに「レディ」と呼ばれる裕福な貴族の身分を手に入れる物語です.いやあ,面白かったですよ,こういう「屑のような作品」は!
 ここでオースティンやブロンテ姉妹の作品を思い出すのが正統派なのでしょうが,私が真っ先に思い出したのは,ルース・レンデル『ロウフィールド館の惨劇』(角川文庫、1984)("A Judgement In Stone" 1977)でした.「ポスト・クリスティ」のものでは,P.D.ジェイムズ(Phyllis Dorothy James, Baroness James of Holland Park, 1920 - 2014)が好きでしたが,同時期に覇を競ったルース・レンデル(Ruth Rendell, Baroness Rendell of Babergh, 1930 - 2015)のものも,しきりと翻訳紹介されたのでよく読んだものです.『ロウフィールド館の惨劇』はメイドが一家を崩壊させる,底意地が悪く悪意に満ちたレンデルの作品の中でも後味の悪さでは屈指の名作です.都筑道夫が絶賛し,嫌なやつしか出てこないが,小説としては完璧で,作家として打ちのめされたので,これを読むとしばらく自分で小説を書く気がなくなったとどこかで書いていました.
 ひどい身分差別,性差別,格差社会に対する,女性からの怨念と復讐を呵責無く描いたこういう痛快なエンタメのあり方は,19世紀から蓄積があったということなのですね.考えてみれば,金と欲がらみの家庭崩壊を描いていくのが「本格派ミステリー」の王道で,形式化され洗練され,かつ牙を抜かれた煽情小説であったのだと思ったことでした.そういえば,クリスティのデビュー作『スタイルズ荘の怪事件』がそもそもそういう話ですが,これ以上は話しますまい.

 同じく紹介されていたので,あのナイチンゲールが『カサンドラ』という小説を書いていたことも初めて知りました.先頃翻訳が出版され,こちらも丁寧な解説がついております.ナイチンゲール(木村正子訳)『カサンドラ ヴィクトリア朝の理想的女性像への反逆』(日本看護協会出版会、2021年).社会的自己実現の場が与えられずに苦しむ才能ある若い女性の嘆きの独白と,それを宥めようとして的外れな発言を繰り返す「優しい」兄の対話という体裁になっていて,生前には出版されず,私家版の冊子に何度も手を入れつつ転載された作品だそうで,文学作品としての全体的な完成度は今ひとつ.しかし主人公の女性の思索と苦しみの表現は切々と胸に迫り,全く今の時代に女性が感じる悩みと変わりがないように思え,読み応えがあります.クリスタ・ヴォルフの『カサンドラ』を思い出しましたが,また先頃話題になったドイツの「カサンドラ・プロジェクト」にも連想が向かいました.これもすぐにも勉強したいところです.