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よろしくお願いします

 本日付で、千葉大学大学院人文科学研究院国際言語文化学研究部門長の辞令を研究院長より受け取りました。まだ部屋の片付けも終わりませんが、新入生の皆さんと同じ気持ちで一から働きます。ご指導のほどよろしくお願いいたします。

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入学おめでとうございます

新入生の皆さん、千葉大学にようこそいらっしゃいました!

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今年は春になっても何時までも寒かったせいで,桜の花が入学式まで残ってくれました.中々無いことですよ.水島人文公共学府長が「今年の新入生の皆さんは運が良い!」と挨拶をしましたが,本当にそう思います.ーーーいえ,そもそも千葉大に来たこと自体が大当たりですから,教員も授業も施設も制度も利用し尽くして下さい.

今更今どきと思わず,新キャラクターもよろしく.

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袞冕十二章(こんべんじゅうにしょう)

 袞冕(こんべん)という漢字は初めて見たし,読めませんでした.何年かに一人は教え子に「漢字マニア」がいて,高校時代に既に漢検準一級を取っていたりするのですが,そういう人なら読めるのでしょうか.「袞」という字は辛うじて,さんずいを付けると「滾(たぎ)る」「滾々(コンコン)と湧き出る」の「滾」という字になることが分かったくらいです.「冕」に至っては手も足も出ません.
 「袞」というのは帝王の特別の礼服,「冕」というのは帝王の特別な冠のことなのだそうです.十二章というのは,帝王の権威を表す十二の飾りの図案のことで,この礼服に描くならわしなのだそうです.特別,というのは,中国文化圏の帝王が即位の礼に特別に着用する礼服と冠なのだということです.先日日本史の先生の簡単な講義を受け,初めて知りました.
 明の神宗(萬曆帝 1563 – 1620)が着用しているのが,この特別な礼服と冠だそうです.

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 あの輪っかに板を乗せて,玉すだれがぶら下がっている冠がとても印象的で気になるものですが,由緒があるのですね.「いらすとや」さんの始皇帝の似顔絵にももっぱら冠が強調されています!

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 けれども気になる冠と同じだけ重要なのが,礼服に描かれている図柄=十二章なのです.
 十二章とは何かについては,四書五経の中の『書経』第一巻の「益稷」のところにあるのが最古の用例のようです.

予欲觀古人之象,日、月、星辰、山、龍、華蟲作會;宗彝、藻、火、粉米、黼、黻,絺繡,以五采彰施于五色,作服,汝明。

予れ古人の象を觀んと欲す。日・月・星辰・山・龍・華蟲會[えが]くことを作し、宗彝・藻・火・粉米・黼・黻、繡を絺[ぬ]うに五采を以てし、彰らかに五色を施して、服と作[せ]ん。汝明らかにせよ。

 この「日(じつ)、月(げつ)、星辰(せいしん)、山(さん)、龍(りゅう)、華蟲(かちゅう)、宗彝(そうい)、藻(そう)、火(か)、粉米(ふんべい)、黼(ほ)、黻(ふつ)」とは何か.
 『史記』のフランス語訳(1967, par Edouard CHAVÀNNES, https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5425532r/f8.item.texteImage )に次のような図が紹介されています.

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 「華蟲(かちゅう)」というのは雉こと,「宗彝(そうい)」というのは祖先を祀る廟に飾る酒器のこと,藻(そう)は水草,黼(ほ)は斧の形の模様,黻(ふつ)は「両己相背く」模様.
 中国版のウィキ,baiduに帝王の画像がいろいろあげられています.
 https://baike.baidu.com/item/衮冕

 孝明天皇即位の際の袞衣と冕冠が残されていますが大枠でこの形式を守りながら,日本風にアレンジしたらしい.

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 特に冠は中国より派手な作りになり,日輪なども取り付けられています.後醍醐天皇の肖像がかぶっているのがこれらしい.「いらすとや」さんの後醍醐天皇の似顔絵はそこを見逃しません!

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 こういう古式ゆかしい伝統の服装をやめ,即位礼の服装を今のような「立纓黄櫨染御袍(りゅうえいこうろぜんのごほう)」に革新したのは明治天皇からだそうです.
 来たるべき即位の礼も,袞や冕といった古式ゆかしい伝統の礼服ではなく,明治以来の革新的な礼服で行われることと思います.


文学部と外国語教育

 先日受験生の方から千葉大の文学部とはどういうところか,英語教育はどうなっているか,という問い合わせがありました.私は千葉大も文学部も代表して回答する立場にはありませんが,文学部の外国語教育を担当する現場の一員として,以下のような回答を致しました.あくまで私見ではありますが,一応文学部長にも同僚諸氏にも事前に了解を得ております.
 問い合わせをして下さった本人にも了解を得て,ここに回答を公表します.

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本学に関心を持ち、問い合わせを下さいましてありがとうございます。
千葉大学文学部国際言語文化学コースのコース長を今年度務めます、教授の石井正人と申します。

質問1:
千葉大学文学部国際言語文化学コースで行われる授業の内容についてです。「文学部」という学部名になっていますが、文献や書籍を研究する授業が基本でしょうか。

「文学部」という伝統的な学部名は少なくなってしまいました。この学部名に広く誤解があります。ここでいう「文学」とは、一般に使う意味の、小説や詩などの「言葉による創作品」のことではなく、昔の日本語の用法で人文科学・社会科学のこと、文系諸学のことを指します。
「文学部」という呼称が文部科学省から認可されるためには、「哲史文(てっしぶん)」と俗に言いまして、哲学(およびそこから派生発展した諸学)、歴史学、語学と文化学の3分野にわたって十分な教員とカリキュラムが準備されていることが求められます。千葉大学文学部では、哲学関係の諸分野を「行動科学」コースとしてまとめ、歴史学は「歴史学」コース、語学と文化学を「日本・ユーラシア文化」コースと「国際言語文化学」コースの2つに分け、合わせて4コースで「文学部」として求められる教育体制を組織しております。
文学部では「文献や書籍」等の文字資料を対象として研究することは大きな比重を占めますが、文字を持たない文化や言葉のない現象なども直接現場に入ってフィールド調査などして研究対象とします。ですから文学部というのは、むしろ様々な人間の精神文化を、言葉にして説明しようと頑張る研究をしている、という理解が適切ではないかと思います。
質問者の方が一番関心のある外国語研究・教育に関して申します。外国語の基礎学習の部分はどこで学ぼうと暗記と反復練習であることに変わりはなく、魔法の特効薬など存在しません。しかし文学部における外国語教育はその上に、「なぜそうなっているのか」「全体像や規則性をどう理解すれば良いのか」「間違いと正解を分けているのは何か」「歴史的背景はどうなのか」といった深く広い観点から学んでいく習慣をつけるよう教育しています。会話や作文の授業でもそういう意味で一味違う教育になります。

質問2:
ホームページに「国際関連性の教育」が行われるとありますが、具体的にはどのようなものでしょうか。

 「国際関連性」というものが具体的にどのようなものであるか、その内実を明確にしておきたいと思います。
1.外国語で発信された内容を、文化的歴史的違いを踏まえて正しく理解できる。
2.日本語で考えた内容を、文化的歴史的違いを踏まえて正しく外国語で発信できる。
3.国際理解に不可欠な、政治的常識、宗教・倫理的常識、歴史的常識を持っている。
4.留学・海外研修に必要な準備・手続きなどを自分で調べ、こなしていくことができる。
おおよそ、学校として援助できるのはこういうことであろうと考えます。すでに説明した通り、これらは当コースの全ての授業の核心であります。
千葉大学は広く海外の大学と交流協定を結んでおり、交換留学の機会も豊富です。1年間の留学であれば、単位互換制度などを活用し、在学期間を延長せず4年で卒業することも可能であるように、文学部では制度を整備してあります。当コースからは毎年多くの学生が留学します。また海外からの留学生も多く、日本人学生による支援活動や授業内外での交流も盛んです。当コースの学生は留学生の支援活動・交流に積極的です。
授業数もマンパワーも十分とは言えませんが、教員一同留学・海外研修・国際交流で苦労の連続ですから、このほかに授業内外でいくらでもお伝えしたいことがあります。

質問3
ホームページには外国語の高度な運用能力を習得することが求められているとありますが、こちらの学部では、英語の会話能力を含めた運用能力を身につけることはできるのでしょうか。

 この点については、特に英語に関してコースの授業だけでなく、全学で様々な教育プロジェクト・教育施設があります。たとえば一歩足を踏み入れると英語だけでコミュニケーションすることになる「イングリッシュハウス」という施設などがあります。学内の様々な学習機会を積極的に利用していけば、高度な運用能力は必ず身につくことと思います。
 ただ注意してほしいのですが、言われたまま授業に出て座っていれば伸びる能力などは一つもありません。外国語やプログラム言語の授業では往々にして受講生の方にそういう誤解があります。教員側の熱い思いや力を込めた準備を利用しつくして積極的能動的自主的に学ぶ姿勢があるかどうか、その態度が不十分であればどのようにその学習態度自体を身に着けるかが、グローバル化とイノベーションに対応していかねばならない若い方々にはますます必要になる課題かと思います。「学習方法の学習」についても教員側の大きなテーマであることを申し添えます。

参考になれば幸いです。

2019.4.3 
千葉大学人文科学研究院 教授 石井正人