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水島先生の新刊書

 水島治郎先生から御著書を頂きました.ありがとうございます.

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 御覧の通りのタイムリーな内容です.公務で何かとお忙しいのに,現実社会の動向を鋭く見据えてこういう著作もお出しになるなど,賛嘆のほかはありません.

訳の分からない話

 10年以上かかってカエサル文集を読み進み,ようやく『ヒスパニア戦記』までたどり着きました.今期には終わりませんが,来年度前期には無事読み終える予定です.
 『ガリア戦記』の最後の第8章と,『アレキサンドリア戦記』・『アフリカ戦記』・『ヒスパニア戦記』はカエサルの死後,部下ヒルティウスが残された資料を基にまとめたと言われています.確かに文体が変わり,読みにくくなります.しかしこれらの戦記はカエサル文集として昔からひとまとめにされていたらしく,写本は大抵一続きにまとまって残されています.
 『ヒスパニア戦記』は中でも最も状態が悪く,現存する古典ラテン語散文の中で最悪と呼ばれています.問題点はいくつもあるのですが,イメージをつかむのに「アテグアからの使者」のエピソードはちょうど良いので,ここでご紹介します.

 カエサル派とポンペイウス派に別れて戦われたローマの内乱も最終段階です.ポンペイウス本人は既に殺されています.しかし息子がスペイン南部にあってまだ抵抗します.これを紀元前46年の12月から翌紀元前45年3月までかけてカエサルが打ち破り,内戦を終結させます.

 ポンペイウスの息子が軍を率いて立てこもるスペインの町アテグアでは,内乱の勝敗が見えてきた段階で,カエサル側に寝返ろうとする者が後を絶たず,これを疑心暗鬼に陥ったポンペイウス派が追及し殺害するので,ひどい状態になります.第17節から第18節にかけて,アテグアからカエサルの陣営にやってきた内通の使者のエピソードの1つが記されています.
 カエサル文集は7本の写本が現存しています.そのうち, フィレンツェのロレンツィアーナ図書館(Biblioteca Medicea Laurenziana)にあるS写本,大英博物館にあるL写本、フランス国立図書館にあるT写本が特に古く重要なものとされています.大英博物館とフランス国立図書館は写本をネット上に公開していますが,大英博物館のL写本は最後が失われており,『ヒスパニア戦記』が含まれておりません.フランス国立図書館にあるT写本の問題の箇所は次の通りです.
 第155葉表面左欄に第17節と第18節の冒頭が,次のように書き残されています.

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......Itapoſtero die tul
liuſ legať cúcatone luſitanovenit &
apđ caeſaré verba fecit. ......

......Ita postero die Tul-
lius legatus cum Catone lusitano venit et
apud Caesarem verba fecit. ...

17.その翌日,使者のトゥリウスがルシタニア人のカトーと共にカエサルの元にやって来て,口上を述べた.

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... Remiſſiſ legatiſ cúadportá veniſ
ſent. tib. tulliuſ & cú introeunté c. anto
niuſ inſecuť ň e&' revertit adportá &
hominé adp'henđ. Qđ. tib. cúfieri aní
advertit. ſemel. pugioné edux' manú
eí incidit. itarefuger' adceſaré. ...

... Remissis legatis cum ad portam venis-
sent, Tib. Tullius et cum introeuntem C. Anto-
nius insecutus non esset, revertit ad portam et
hominem adprihendit. Quod Tib. cum fieri anim-
advertit, simul pugionem eduxit manum
eius incidit. ita refugerunt ad Caesarem. ...

18.使者達が戻り,城門に来たとき,ティベリウス・トゥリウスが(?),C.アントニウスが入っていく者に付いて来なかったので,城門のところに引き返し,その人をつかんだ.ティベリウスはこういうことが起こったのを知ると,直ぐに短剣を引き抜き,彼の腕を切り落とした.こうして彼らはカエサルの元に逃げてきた.

 正直,何が起こったのかよく分かりません.いきなり切りつけて腕を切り落とすなどとは大変な事件だと思いますが,なぜそんなことになったのか分かりません.そもそも,誰が誰を切りつけ,誰がカエサルの元へ逃げていったのかもはっきりしない.さっきまで一緒だった「ルシタニア人のカトー」はどこかへ行き,「C.アントニウス」なる人物が現れて事件の中心にいるのです.
 そこであのモムゼンが,次のような修正を提案しました.使者は最初から3人だったのだろう.ティベリウス・トゥリウスに,カトーとアントニウスである.城門に戻ったときアントニウスがそのまま逃亡しようとしたのでカトーが押さえ,ティベリウス・トゥリウスが切りつけ,ティベリウス・トゥリウスとカトーの二人がカエサルの元に逃げたのであろう.18にある「C.アントニウス」は,ローマ人の名前としてはありふれている「ガイユス・アントニウス」の略ではなく,「カトーをアントニウスが」を省略したのだろう.そこでモムゼンは,c の代わりに Catonem というテクストを作りました.さらに17の「ルシタニア人のカトー」も何となく不自然なので,lusitano は et antonio 「~とアントニウス」の書き間違いではないかというのです.
 テクストがこのくらい壊れる(corrupt)ことは往々にしてあるようです.それにしても大胆な提案ではあるので,モムゼンの提案に従わず,むしろアントニウスを削除し,カトーとティベリウス・トゥリウスとの間のもめ事だとする解釈もあります.そうすると,腕を切り落とした人と切り落とされた人が一緒にカエサルの元に逃げたのでしょうか.それも受け取れない話です.
 異本校合とか本文批判とかいうのはこういうことを細かく議論することですが,意外に大胆に本文が推定の上に「復元」されているものです.そうやってできあがった刊本テクストを元に歴史学や文学論や哲学研究の議論を立てる場合,テクストそのものを作り出したこのような文献学的手続きの経過は注意を要します.方法論上欠かせない観点なのですが中々簡単な実例で学ぶ場がありません.せっかくの機会なので,長々と紹介してみました.