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数詞の話

 語学の教員としての念願だったことの一つに,数詞についての全てをまとめた教材を作ることがありました.コロナ禍の下でのオンライン授業のために,これまで使ってきた教材を全て見直す中で,昨年ラテン語について,あのややこしい暦法を含め,ようやくまとまった教材を作ることができました.昨日今度は現代ドイツ語の数詞をまとめることができて,ほっとしています.
 日付表現や時刻表現,数式の読み方の基礎の他に,分数詞(Bruchzahlen)とか数副詞(Zahladverbien),配分数詞(Distributivzahlen),倍数詞(Vervielfältigungszahlwörter),類数詞(Gattungszahlwörter),反復数詞(Wiederholungszahlwörter)など,それから「小数・分数・パーセンテージと動詞の数の呼応」についてとか,なかなかまとめて学ぶ機会がありません.ああ,こうやって書いている間に,いくつか抜けている点を発見してしまいました.今晩早速作り直しです!

 分数をなぜ序数詞によって表すのか,恐らくラテン語の語法から来たのではないかと思います.
 ラテン語には「部分」pars, partis f. を使って,分数に2つの言い方がありました.「2つの部分」duo partesと,tertia pars「3番目の部分」です.「2つの部分」duo partesとは,「3つに分けた残りの2つ」,つまり2/3を表します.「3番目の部分」tertia parsとは,「3つに分けた最後の1つ」,つまり1/3を表します.
 なぜこういう考え方をするのか,なかなか理解できませんでした.小さい頃から数学的な,普遍的な見方を叩き込まれているので,そういう見方の「無駄さ」に気づけないでいたのでしょう.例えば,7つに分けて3番目の部分とか,11に分けて3番目の部分とか,なるほどよく考えてみると,日常的にそんなに必要はありません.同じく,7つに分けたもののうち,2つが残っている,とか,11に分けたうちの,3つが残っている,というのも,それほど必要な表現手段でもないのです.何かを部分に分割した場合,私に一番関係のあるのは,私の取り分になる1部分でしょう.必要があって分割したのだから,私の取り分を取った残りもあっという間に引き取り手が決まるはず(もしくは決まっているはず)です.だからラテン語では分割した際に,最後の1部分と,残りの部分に分けて考えることから出発しているのです.自ずと分母は明らかだというわけです.土木建築にあれだけ技術水準の高かった古代ローマ人がこれでトラブルなく仕事を進めていたのだから,これで良いのでしょう.

 ドイツ語史・ゲルマン比較言語学の分野の俊英で,若くして亡くなった飯嶋一泰先生が,その早すぎる晩年にゲルマン諸語の数詞について関心を持っていたのを思い出します.該博な知識を軽やかに整理した論文を渡してくれながら,こんな風にまとめてみたんだけど,どう思う?意見を聞かせてよ,と気負いもなく仰る,その口調がまだ耳に残っています.出来の悪い後輩の私なんかにまで,きさくに声を掛けて下さって.せっかくいただいた論文なのに,まだ読みこなせてもおりませんよ,飯嶋さん.定年近くなって,やっとこんな基礎的な教材をまとめられたばかりです.