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土田知則先生、さようなら

 本日2021/03/31をもって土田知則先生が定年で千葉大学文学部を去られます.コロナ禍のせいで,最終講義もなく,記念のパーティもないお別れでした.
 僭越ながら私が,みなさまを代表して「土田先生を送る」という一文を紀要に寄稿いたしました.以下に再掲いたします.

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 2021年3月をもって土田知則先生が定年で本学を去られることになりました.お世話になった文学部教員の後輩の一人として,一言お別れの言葉を述べます.

プルースト研究と現代文芸理論研究,そしてポール・ド・マン研究をテーマとした重厚な業績で高く評価され,学会において確固たる地位を築いている研究者としての土田先生について,門外漢の私ごときがとやかく申し上げる筋合いは御座いません.土田先生のような立派な研究者を同僚に持つということは,それ自体私にとっての大きな誇りであったし,正直に白状しますが,それに加えて色々な疑問をすぐ気安く土田先生のような大学者に質問できるというのも実にまた大きな利点でありました.
 「非ナチ化と現代文化」というテーマはどんな専門分野に携わっていようと避けて通れないものだと思います.私もドイツ語教員のはしくれなので,私にとってもこれは身近なテーマです.土田先生のポール・ド・マン研究は,ポール・ド・マン事件を中心に,この「非ナチ化と現代文化」という問題に関する最新の議論とその成熟度を学ぶために,つきぬ源泉となっています.
 また土田先生は,自分の研究だけに閉じこもる人ではなく,難解な現代文言理論研究の成果を,学生にも分かりやすい形でまとめてくれたので,卒論で難しい対象に挑もうとする学生と,その学生を指導しかねて立ち往生する私とにとって,どれだけ助けになったか分かりません.
 倦まず弛まず研究を続けるその姿勢も,誠実に学生に向き合って丁寧に指導するその姿も,大学教員としては当たり前のことではありながら,なかなか土田先生のように貫けるものではないと,常々この後輩は嘆息しておりました.学生たちも勿論同じ気持ちだと思います.
 そして、土田先生の門下から育って教職に就いている諸君は,何卒この土田先生の教育研究の在り方を忘れず、継承して欲しいと思います.

 けれどもこういう研究者や教育者としての土田先生以上に私が惜別の思いを強く抱くのは,はにかみ屋で引っ込み思案で,繊細で傷つきやすく,やさしくて人の良い同僚としての土田先生であり,いかにもそれらしい洒脱なフランス文学者としての土田先生です.
 土田先生は生来立ち回りが下手だし,派手な身振りも出来ない愛すべき方です.管理業務を任せても,持ち前の真面目さで本当に精一杯こなし,見事に片付けているのを,私は身近に見て知っていますが,良くも悪くも目立とうとしないので,ちっとも評価されない.人ごとながら悔しい思いをしていたのです.余計なお世話で,本人はそれで良かったのかもしれません.
 1981年に千葉大文学部が誕生したときから,1994年に文学部が現在の形に改組されるまで存在した「仏文科」の最後のメンバーが,これで千葉大学からいなくなります.土田先生は,外国語・外国文学系の講座の中で,最も多くの典雅な趣味人,華麗な才人を輩出し,繊細にして儚いダンディズムを誇った仏文科というものの香気を千葉大文学部の中に伝えてくれた,最後の人材であったように思います.  
 1994年の改組で,伝統的な外国語・外国文学の講座は解体され,語学・文学・文化研究に再編成されました.同時に解体された教養部から文学部に拾って貰って移籍してきた私に,旧仏文科の林田遼右先生と土田先生がとても温かく接してくれたのを今でも感謝しています.私が昔使ったフランス語の教科書の著者であり,一生懸命聞いていたラジオのフランス語講座の講師だった林田先生と身近に接することが出来たことも感激でしたが,仏文科の大先生と愛弟子の洒落た交流も眩しいものでした.林田先生と土田先生の学識に触れる機会を得ただけでなく,そもそもあのような場に同席できること自体が得がたい体験なのです.
 趣味と学識が飄逸に調和した,外国語・外国文学研究の古い楽園は失われたのでしょうか.失われたとしても,それは大学を疲弊させた改組のせいでも,人文科学を無闇に憎む偏見のせいでも,コロナ禍のせいでもありません.何があっても卑俗に堕さず,素朴な善良さを失わないでいられる気品が衰退していくのが一番耐えがたい.土田先生をお送りすることが,確かにそこにあった気品ある楽園との永遠のお別れであるような気がして,それが一番悲しいのです.

 土田先生,お世話になりました.本当にありがとう御座いました.お元気で.