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セシル・シャミナードについて

 作品のテーマやモチーフと形式の間の齟齬ということをよく考えます.残された作品の形を絶対として学問的には分析を進めるわけですが,自由で創造的な作品受容となれば話は別です.それに,個人的な違和感というのも研究の出発点としては重要です.中世ドイツ文学の抒情詩に有名な例があります.短い男女の応答として残されている作品の細部にどうも多くの疑問がありました.前世紀の中頃に,ある研究者がこれはもともと女性のモノローグだったものを改作したのではないかと大胆だが説得的な説を発表したのです.研究史全体を変えるには至らなかったと記憶しますが,ただこういう早い時期のフェミニズム的・脱構築的な研究はとても印象に残りました.残された作品の形イコール作者の意図として絶対視できないかもしれません.

 フローレンス・プライス(Florence Price ,1888-1953)という作曲家は,アメリカのクラシック音楽史上,初めて黒人女性の「交響曲」作曲家(かつメジャーなオーケストラで作品を演奏してもらえた作曲家)として認められた "the first African-American woman to be recognized as a symphonic composer, and the first to have a composition played by a major orchestra" そうですが,この symphonic composerという言い方に,フェミニズム的音楽研究で詳しく明らかにされているカノンの問題が強く表れているように思います.しかもベートーベンではなくドヴォルザークらしい.個人的な感想ですが,symphonyとmansplainに深い連関があるような気もします.

 逆の方向もあります.20世紀の終わり頃から,アメリカのエイミー・ビーチ(Amy Marcy Beach, 1867-1944)やフランスのセシル・シャミナード(Cécile Louise Stéphanie Chaminade,1857-1944)など初期の女性の職業音楽家が現れます.「舞台映え」のする曲想を選び,それどころかどうも容姿にさえも工夫しなければならなかったようです.何しろ化粧品のコマーシャルにも起用された人です.シャミナードは晩年骨粗鬆症になって片足を切断しなければならなかったそうですが,過度の運動と無理な菜食主義の食事療法のせいで« Épuisée par des courses incessantes, décalcifiée par les excès d’un régime alimentaire végétarien mal conçu, elle doit être amputée d'un pied en 1936 »あったそうです.要は不健康なダイエットに励みすぎたということでしょう.
 シャミナードの作品の多くはサロン演奏会用のピアノ小品で,「舞台映え」がするよう,親しみやすい甘く感傷的なメロディーに,飾りが派手で,音の多すぎる,過剰な作りになっています.クラシック音楽のカノンから見れば,取るに足らない,高い評価の得られない作品でしょう.だからしばらく忘れられました.しかし女性の職業音楽家として受けた制限からシャミナードは意識的にそのような形式を選んだように思えます。というのも,曲想の多くは明らかにそのような小ぶりなサロン風の形式をはみ出していて,高い志や強い意志を表しているように聞こえます.かろうじて彼女たちに許された形式の中に,真意を籠めたのではないでしょうか.

 僭越ながら,実験をしてみました.シャミナードが1908年,その音楽家としての活動がもっとも充実していた時期に発表した「プロヴァンスの詩」Poém Provençalという組曲があります.
1. 荒野にて Dans la lande
2. 孤独 Solitude
3. 過去 Le Passé
4. 夜の漁師 Pêcheurs de nuit
この4曲を,合唱版に編曲してsynthesizeしてみました.

https://youtu.be/mKdZ9NK2jNc

少し詳しい人なら,「1. 荒野にて」を聞いて,聖公会の賛美歌かと驚かれたと思います.これは民謡風のメロディーを使った「夕べの祈り」で,その祈りのつながりで,「2.孤独」で現状の寂しさを省み,「3.過去」で華やかだった活動を反省します.さて「4.夜の漁師」は単なる風景画,旅行者のスケッチとは思えません.大航海に果敢に船出する勇敢な船乗りの詩の趣があります.唐突なコーダは,難破を,すなわち「死」を表しているように思えます.死に雄々しく立ち向かう志を表しているようです.この4曲は,事情が違っていれば,一曲のシンフォニーにまとめられたものではないかと,そんな気がしました.別にシンフォニーになってなくても良いと,私は思いますが.