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私を葛に

 若い世代の俳人の活躍がめざましい.たとえば神野紗希さんの「寂しいと言い私を蔦にせよ」には感心しています.私の方でたまたま『トリスタン』物語を今期のゼミで取り上げるので,特に気になるのかもしれません.

 定年近くなってきたので,これまで避けてきた題材を授業で取り上げてしまおうとしています.『ニーベルンゲン』の「ブリュンヒルデ陵辱」の場面をまずは扱いました。次には,テクストの難しさもあって敬遠していた,『トリスタン』を取り上げていこうと思います.
 『トリスタン』の様々なエピソードを,いろいろな講義で紹介しているのですが,中高ドイツ語の講読では今回初めて取り上げます.船の上での「愛の妙薬」の場面から読み始めました.

 あの『トリスタン』は,もともとケルト説話であったのを,中世フランス文学で取り上げられて発展しました.舞台も小さく,構造も単純な不倫物語ですが,とても人気で,様々な言語に翻訳・翻案されて広まりました.ところが不思議なことに中世フランス語のテクストは断片しか残っておらず,これをたっぷりと学んだ(と詩人自らが何回も自慢しています!)ドイツの詩人ゴットフリート・フォン・シュトラスブルクによる,中世ドイツ語のテクストがほぼ完全に残されています.完全写本も複数残っています.
 二万行もありますが,マルケ王の宮廷を逃れ,「白い手のイゾルデ」の元に身を寄せながら,元の恋人「金髪のイゾルデ」を忘れかね,トリスタンが思い悩むところで切れています.未完にしても,結末部分が失われたにしても,どうも思わせぶりで,できすぎのような気がします.どうせ決着の付けられない話なんだから,わざとこういう終わり方をしてるんだろう,などという説もあるほどです.
 昔からこういう形で切れていたらしく,別の詩人が続きを作り足し,トリスタンとイゾルデの死のところまで語っています.
 トリスタンとイゾルデを少し離した別々の墓に葬り,トリスタンの方にはブドウの木を,イゾルデの方にはバラの木を植えると,むくむくと育った2つの木は互いを求めあい,絡み合って,誰にも引き離せないほどでしたとまとめられています.こういう形で伝承されていた様子です.

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(これは14世紀の「トリスタン」の写本の最後に添えられている絵なのですが,ウィーンのある写本にある,と諸書に説明されているだけで,もとの写本が突き止められません.ウィーン国立図書館にあるW写本にもw写本にもこの絵が見当たらないのです.今後も探します.どなたかご存じの方は教えてください.これはリューディガー・クローンの校訂板に紹介されているものを使わせてもらいました.)

 謡曲の「定家」を思うと,恋の妄執や未練を蔦で表現する類型が東西にあったらしい.
 
露と消えても、つたなや蔦の葉の、葛城の神姿、恥づかしやよしなや、 夜の契りの、夢のうちにと、有つる所に、歸るは葛の葉の、もとのごとく、 這ひ纏はるるや、定家葛、這ひ纏はるるや、定家葛の、 はかなくも、形は埋もれて、失せにけり。

 それを,新時代の俳人神野紗希さんは,敢えてまっすぐで力強い調子に歌い直していくのです.トリスタンや定家の目線からだけではなかなか出にくい発想かもしれません.本歌取りというか,アダプテーションというか,文化伝承はこうなくては.